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なぜ米軍は、本格的な日本本土空襲都市に八幡を選んだのか?

源田孝(元防衛大学校教授)

太平洋戦争中の1944年、日本はドーリットル空襲以来、2度目の本土空襲を、九州の八幡に受ける。その際、日本を苦しめたのが、米軍の大型爆撃機B-29である。

"超空の要塞"と称されたB-29はなぜ造られたのか。一方、その脅威を目の当たりにした日本軍は...。両軍の攻防を元防衛大学校教授の源田孝氏が解説する。

※本稿は、『歴史街道』2024年5月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

米軍の爆撃理論

1930年代半ば、米陸軍航空軍の前身である航空サービス戦術学校では「敵国の心臓部に直接爆撃機を向かわせ、戦争遂行能力を破壊する方策」を研究していた。

ドナルド・ウィルソン少佐は「ある目標を破壊すれば1つの産業を破壊できる、あるいは生産を停止させられるようなキーノード(緊要な結節点)」の選定を模索した。都市における産業の集中度、産業の構成要素、その構成要素の相対的な重要性、そして攻撃目標の脆弱性を判定するため、まずは自国の各都市を目標にしたケーススタディを重ねた。

その結果、次のようにまとめた。
・目標は戦争遂行に影響を与える軍需工場とする。
・破壊力と、爆撃機の防御力を増加させるために、100機単位の編隊で爆撃する。
・数百キロメートル離れた基地から出撃する。
・敵の高射砲や防空戦闘機が到達できない高高度を飛行する。
・爆撃照準器で爆弾を一斉に投下する。
・爆撃目標が視認でき、爆撃効果が期待できる昼間に爆撃する。

これが「選別された目標に対する昼間高高度精密爆撃戦略」であり、この戦略を実現するには長距離性能と高高度性能を備えた多数の大型爆撃機が必要であった。

 

B-29の開発と第20航空軍の新編

陸軍航空軍はこの戦略を実現するため、1935年7月に四発大型爆撃機B-17、ついで、1941年1月に多用途大型爆撃機B-24を完成させた。航続能力の低いB-17はヨーロッパ戦域、B-24は地中海戦域で使用されることになった。

問題は広大な太平洋戦域であり、陸軍航空軍は新たな爆撃機を開発した。1942年9月に完成したボーイングB-29「スーパーフォートレス(超空の要塞)」である。

B-29は第二次世界大戦中最大の爆撃機であり、最多の爆弾搭載量、最長の航続距離を誇った。空気抵抗を低減した真円の機内は与圧され、冷暖房を完備。機銃砲塔は遠隔操作でき、アナログコンピュータ化された射撃管制装置と機上レーダーなど当時の最新技術が導入されていた。まさに「未来から来た航空機」といっても過言ではなかった。

B-29の開発経費は30億ドルにのぼり、もう1つの国家プロジェクトである原子爆弾の開発計画「マンハッタン」が20憶ドルであることを見ても、その巨額さがわかる。

一方でB-29の欠点は、ライト社の2200馬力のエンジンが過熱しやすく、よく火災を起こすことであった。クルーの間では、エンジンが発火した場合「30秒以内に火が消えるか、さもなければ自分達が消えるか」という戯言があるほどであった。三発エンジンでの飛行時間を競うことも流行ったという。

米統合参謀本部がB-29を太平洋戦線で使用することを決定すると、各司令官は高性能のB-29を自分の部隊で使用したがった。しかし、B-29は一つの部隊で統一して運用しなければ十分に働けないことを懸念した統合参謀本部は、まったくの例外ながら、B-29の部隊を直接指揮することにした。

1944年4月、B-29のみを装備する第20航空軍が新編され、統合参謀本部のメンバーである陸軍航空軍司令官ヘンリー・アーノルド大将が司令官を兼務した。

当時、アジアの連合国の領地でB-29が展開できるのは中国だけであった。そこで、B-29は米本土からはるばる北大西洋を渡り、ヨーロッパ、中央アジア、インドを経て中国の成都に進出した。

 

狙われた八幡

1944年4月1日、米統合参謀本部は成都から2600キロにある北九州の八幡市を爆撃目標に選定した。八幡市にある官営八幡製鐵所は、日本の圧延鋼の24パーセントを生産している日本の軍需産業の重要施設であったからだ。第一の目標は、コークス炉のうち最大の東田コークス炉とした。

中国に展開していた日本軍の工作員は優秀であり、B-29が成都に展開してきたことをつかんでいた。日本軍はB-29の航続力からみて、やがて九州北部の軍事施設が爆撃されると推測していた。そのため1944年初頭から、中国と太平洋に配備されていた戦闘機を内地に移転させた。

1944年4月、八幡は西部軍の下に置かれ、山口県小月の飛行第4戦隊(二式複座戦闘機「屠龍」35機)と福岡県芦屋の飛行第59戦隊(三式戦闘機「飛燕」25機)を隷下に置く第19飛行団が新編された。また、九州北部には早期警戒網が張り巡らされ、レーダー、高射砲、阻塞気球、サーチライトを設置した。

第1回八幡空襲は、1944年6月15日夕刻に行なわれ、米第58爆撃航空団のB-29 75機が出撃した。爆撃は夜間に決行され、燃料を節約するため編隊を組まず、個々に侵攻した。B-29の出撃は中国大陸の日本軍の工作員によって察知され、「真夜中に北九州に到着する」との一報が日本の第19飛行団にもたらされ、「屠龍」8機が邀撃した。

16日午前零時すぎ、47機のB-29が八幡市に到着したが、市街は灯火管制が敷かれており、また霞に覆われていたため、米軍は目標が確認できず大混乱に陥った。結局コークス炉への命中弾は皆無で、爆撃自体は大失敗であった。

この爆撃中、米軍は事故で5機を失い、2機が撃墜され、58名が戦死した。日本側で報告された戦果は撃墜4機、不確実3機、一方で市民の犠牲者は256名であった。

日本の対空砲火は激しかったが正確ではなく、サーチライトはほとんど役に立たなかった。B-29は「屠龍」より速く、攻撃にもたつくとすぐに引き離されてしまった。

同日、日本の絶対国防圏の要衝であるマリアナ諸島のサイパン島に米軍が上陸したこともあり、八幡空襲の報告を受けた大本営は大きな衝撃を受けた。この八幡空襲が日本本土への本格的な空襲の始まりであったため、まったく戦果の無かった八幡空襲が米国や中国では大々的に報道された。

7月7日には、少数のB-29が第2回目の八幡空襲を行なっている。
第3回目の空襲は、1944年8月20日に行なわれ、八幡市は米第58爆撃航空団のB-29 61機による白昼堂々の爆撃を受けた。昼間であったため、陸軍の「屠龍」、三式戦闘機「飛燕」、四式戦闘機「疾風」合計82機、海軍の「零戦」、「月光」が邀撃した。

この日、野辺重夫軍曹と高木伝蔵兵長が搭乗する「屠龍」はB-29に体当りし、1機目の破片が後続のB-29にあたり、2機を同時撃墜する戦果をあげている。

日本側で報告された戦果は、撃墜24機、不確実13機、未帰還3機。米国側の報告では、B-29を14機失った。損失率は23パーセントであった。

この損失は大問題となり、報告を受けたアーノルド司令官は激怒したといわれる。8月20日の戦闘では、日本軍は劣勢ながらよく健闘したといえる。

八幡市と戸畑市では二百数十名の犠牲者が出た。八幡製鐵所は相当な損害をこうむり、大規模な火災も発生して操業停止に追い込まれたが、2日後には復旧した。20日夜間も10機のB-29が爆撃してきたが、損失はなかった。

1944年11月、マリアナ諸島が陥落すると、アーノルド司令官はマリアナ諸島に第21爆撃兵団を新編した。平坦なマリアナ諸島は、多くの滑走路が造成でき、B-29で北海道を除く日本全土の爆撃が可能であり、なにより海路で補給できる好立地であった。

1945年初め、アーノルド司令官は、中国の第20爆撃兵団をマリアナ諸島に移転して第21爆撃兵団に統合した。第21爆撃兵団の有するB-29は約300機に膨れ上がった。

1945年1月、第21爆撃兵団司令官に弱冠37歳のカーチス・ルメイ少将が起用された。アーノルド司令官はヨーロッパの戦いで戦功をあげたルメイ少将を高く評価していた。
1945年8月8日、八幡市は4度目の空襲を受けた。3個飛行隊のP-47サンダーボルト戦闘爆撃機に護衛された221機のB-29が来襲し、45万発を超える焼夷弾が投下された。

八幡市は火の海となり、市街地の21パーセントが壊滅。八幡市東区小伊藤山横穴防空壕では、避難した市民約300人が窒息死・焼死している。この空襲で2900人が犠牲となった。B-29の撃墜数は確定で1機のみ。

米軍は翌日の8月9日、陸軍造兵廠、軍需工場が多い小倉市に、原子爆弾「ファットマン」を投下することを計画していたが、B-29「ボックスカー」は小倉市上空が曇っていたことに加え、八幡空襲で発生した煙が流れ込んで視界を遮ったことから、目標を長崎市に変更したのである。

プロフィール

源田孝(げんだ・たかし)

元防衛大学校教授

昭和26年(1951)生まれ。防衛大学校航空工学科卒業。元空将補。幹部学校指揮幕僚課程、同幹部高級課程修了。早稲田大学大学院公共経営研究科公共経営修士(専門職)。戦略研究学会監事。

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