↑JR松阪(まつさか)駅の駅名標。市名も濁らず「まつさか」だ。(2019年著者撮影)
地名はさまざまな状況で命名され、それがいろいろな都合で変化し、追加され、統廃合され、あるいは復活し、またあるものは消えていきます――そう語る地図研究家の今尾恵介氏は、著書の『地名の魔力』で、地名にまつわる気になる話を多数取り上げている。富士川は「ふじがわ」と濁るのか、「ふじかわ」と濁らないのか......といった具合に、読み方で悩む方も多いだろう。ここでは、そんな濁点にまつわる話をご紹介しよう。
※本稿は、今尾恵介著『地名の魔力』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです
大学生の頃に富士川を「ふじがわ」と読んで、地元・静岡出身の友人に「ふじかわ」だと訂正されたことがある。濁っちゃダメだと。県内の安倍川(あべかわ)も同様だ。静岡県を流れる川は固有名詞の部分に濁音があれば「かわ」と読み、清音だけなら「がわ」になると教わった。
なるほど天竜(てんりゅう)(川・がわ)、大井(おおい)(川・がわ)の固有名詞の部分に濁音はない。友人だから訂正してくれたけれど、普通は他郷の人間が誤読しても、黙っているだろう。「マツザカギュウ」と聞かされる時の三重県松阪(まつさか)市民の耳の中も、違和感に満ちているに違いない。
松阪牛のウェブサイトの「Q&A」欄の冒頭に「まつざかぎゅう」の読み方が誤りであることを掲げているほどだから、日頃からよほど気になっているのだろう。
故意に濁音を避けた地名もあって、たとえば高知県南国(なんこく)市。高知市の東隣に1959(昭和34)年の合併で誕生した市であるが、気候が温暖で大気が澄み、住民の気質明朗というイメージから命名されたという。普通に読めば「なんごく」であるが、「ごく=獄」という音のイメージを嫌って、清音にしたという。
山梨県の須玉町(すたまちょう、現北杜市)も、1990(平成2)年にわざわざ「すだま」の濁点を外す改称を行った。
東京都荒川区には、東尾久(おぐ)・西尾久の町名がある。いずれも「おぐ」と濁るが、JR東北線の尾久(おく)駅は、1929(昭和4)年の開業時から清音だ。「野暮」「野暮天」のルーツとされる(異説もあり) 谷保(やぼ)天満宮・谷保天神のある東京都国立市谷保(やほ)も、正式には「やほ」だが、地元の人は「やぼ」と読む人が多いし、谷保天満宮に至っては「やぼ」と濁るのが正式だ。
横浜市の西部にあるJR・東急の長津田(ながつた)駅の読みは、わりと近くに長く住んでいた著者は子どもの頃から「ながつだ」と信じて疑わなかった。調べてみると地元の町名も駅名と同じ清音の「ながつた」というから自信が揺らいだが、インターネットで検索してみたら、これをわざわざ実地に調べた人がおり、地元でも3分の1ほどが末尾を濁ったそうだ。
地名の読みが必ずしも統一されていないのは、正式名称にかかわらず「ちょう」と「まち」が混在している事例と共通で、それほど目くじらを立てるほどのことでもないだろう。
中には珍しく半濁点から濁点に変わった地名もある。北海道の宗谷(そうや)本線にある美深(びふか)駅はかつて「ぴうか」と読んだ。それを1951(昭和26)年に町名ともども現在の読みに改めたのである。元はアイヌ語由来で「石の多い場所」を意味するが、漢字に引っ張られたらしい。
ずっと以前に美深町役場に直接電話して問い合わせたこともあるが、地元の高齢者の中には「ぴうか」と「びふか」の間をとった「ぴふか」と呼ぶ人もいるとのことだった。
ちなみに現在の日本の全市町村の中で、同じ宗谷本線沿線の比布(ぴっぷ)町が、半濁点で始まる唯一の自治体である。
更新:12月10日 00:05