2015年07月01日 公開
2023年01月16日 更新
こんばんは、2015年7月1日(水)です。私の方も、すっかりと更新が滞り、大変に失礼いたしました。本日から7月、今年も早や半分が終わったことになり、心機一転(?)、当ページの充実に邁進してまいります。
先般、私は岩手県の「小岩井農場」に参りました。駐車場に入るまで車の行列ができるほどの盛況ぶりで、実際、大自然を堪能できる素晴らしい施設だと私も感じました。
皆様は、この小岩井農場の「小岩井」の名の由来をご存知でしょうか? 試しに、私の周囲に聞くと、「地名でしょ?」との回答がありました。しかし、実は小岩井とは、地名ではありません。
「小岩井」とは、3人の名前の頭文字を組み合わせた造語です。この3人とは、明治24年(1891)に小岩井農場を開設した、小野義眞(おの・ぎしん)、岩崎彌之助(いわさき・やのすけ)、井上勝(いのうえ・まさる)のことです。
当時、小野は日本鉄道副社長、岩崎は三菱社長、そして井上は鉄道庁長官を務めていました。きっかけをつくったのは、「鉄道の父」とも謳われる井上です。鉄道が普及し始めた明治時代半ば、井上は東北にも鉄道を敷くべく、岩手の盛岡を訪れました。
現在、小岩井農場がある地帯は、明治時代はまだ一面に広がる荒地でした。この時、井上の胸には、ある思いが去来したといいます。それは、長年の鉄道事業で美しい田畑を潰し続けてきたことへの悔恨の思いでした。
そして井上は、この広大な荒地に関しては、潰すことなく、むしろ悔恨して大農場を拓こうと思い至ったのです。それこそが、自分の使命である、と。
井上は、この構想を日本鉄道副社長である小野に打ち明けました。すると小野は、井上に1人の男を紹介しました。兄・彌太郎の亡き後、三菱の2代目社長を引き継いでいた岩崎彌之助です。
彌之助は「陸の三菱」を築き上げ、また丸の内を開発して西洋に負けないビジネス街をつくるなど、「日本のために」という思いを強く抱いていた人物でした。
「国家公共のため、ヨーロッパ農法に準拠した本格的な農場を建設したい」。そんな井上の純粋な考えに感銘を受けた彌之助は、その場で出資を快諾したといいます。こうして明治24年1月1日、井上が場主となり、「小岩井農場」が開設されたのです。
現在、岩手山南麓に位置する小岩井農場は、約3,000haの広さを有しています。そしてその一角には、明治時代に設けられた牛舎や事務所があります。
驚いたのは、今も現役で用いられているものがあるということです。とても魅力的な建物ばかりで、かの宮澤賢治は本部事務所を「気取った建物」と評しています。
農場ならではの解放感のみならず、明治人の思いにまで触れることができる…。小岩井農場は、また訪れたいと強く感じた、とても印象的な場所でした。皆さまも、夏休みなどにぜひ。(水)
更新:12月10日 00:05