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江戸時代のプラネタリウム模型?

2015年06月30日 公開
2023年01月16日 更新

『歴史街道』編集部

こんにちは。今日は平成27年(2015)6月30日(火)です。

皆さんは、「からくり儀右衛門」をご存じでしょうか。現在の東芝を創業した田中久重が、江戸時代末期に自らが考案したからくり人形で興行を行ない、精巧な動きから称賛の意味を込めてそう呼ばれました。

久重の発明品は、寺子屋時代に自分以外には誰も開けることのできない「開かずの硯箱」から、折り畳み式の「懐中燭台」、画期的な室内照明の「無尽灯」など、数多にのぼります。

その中でも、季節によって昼と夜の長さが変わる日本の時刻法を表わす和時計と西洋時計のほか、曜日、旧暦の日付、太陽の自転、月の満ち欠けなども表示する「万年自鳴鐘」は、久重の発明品の中でも一つの頂点を示しているといえるでしょう。

現在発売中の「歴史街道」7月号の特集「明治創業者ものがたり」で、久重と万年自鳴鐘をご紹介していますが、今回は誌面でご紹介できなかった「須弥山儀〈しゅみせんぎ〉」についてご紹介したいと思います。

「須弥山」とは、仏教における世界観を示したものです。仏教では、宇宙空間(虚空)に巨大な風輪が浮かんでおり、その上に水輪が、さらにその上に金輪〈こんりん〉が浮かんでいるとされ、金輪の中央に仏様や持国天などの四天王が住む「須弥山」がそびえ立っています。

この水輪と金輪の境目が「金輪際〈こんりんざい〉」で、今も「極限」や「とことんまで」という意味で使われますね。

須弥山の周りには九山と八海が交互に存在し、海には人間の住んでいる北倶廬洲〈ほっくるしゅう〉を含む四島が浮かんでいます。須弥山の周りを太陽と月が回っており、天動説ではなく、地動説の世界観です。

江戸時代後期には、地動説など西洋の天文認識が知識人に支持されるようになってきました。伝統的な天動説をとっていた仏教界は、この事態を仏教存亡の危機と受け止めます。

天台宗の円通は、地動説による仏教的宇宙観を擁護するために、仏教天文説を目に見える形で表わした時計仕掛けの「須弥山儀」を考案します。須弥山を中心にした天体模型ですね。

これを実際に作り上げたのが、田中久重です。弘化4年(1847)に着工し、嘉永3年(1850)に完成したといわれています。

須弥山儀は、季節によって昼と夜の長さが変わる当時の不定時法に対応した和時計と、小球が回転する太陽と月の運行、北斗七星の動きなどを表示します。一つのおもりが動力となっており、十分に巻き上げれば時計の機構と鐘を打つ機構の両方が一昼夜動く仕組みになっていました。

写真を見ればおわかりいただけると思いますが、言葉で説明するよりも、模型を見さえすれば一目で須弥山を中心とした地動説が理解できます。さらに、時計仕掛けで太陽と月が実際に須弥山の周りを動けば、人々は興味津々でしょう。

明治維新を遡ること二十年近く前に、これほど精密なものを作り上げた田中久重の、もの作りにおける技術レベルの高さと、困難にも思える機構に挑戦する技術者魂に、心を打たれる思いがします。

久重は、この須弥山儀で得た技術をさらに発展させて、万年自鳴鐘を完成させます。七つの表示部分を自在に動かし、一回バネを巻けば一年間稼働するという驚くべきものです。

久重は、自らの発明家人生を振り返って、次の言葉を残しています。発明に限らず、私たちの日々の生き方にも、大きな示唆を与えてくれるものだと深く感じ入っています。

「知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである」(立)

 

写真は須弥山儀(写真提供:東芝)

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