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歴史街道 » 本誌関連記事 » 海軍乙事件の全容 漂流する中将らが投棄した“機密文書”が、その後の戦局を左右した » 画像1 枚目
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2024年08月23日 公開 2024年12月16日 更新
源田孝(元防衛大学校教授)
海軍乙事件
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昭和19年(1944)、日本とアメリカの機動部隊が激突し、「マリアナ沖海戦」が勃発しました。日本海軍は「アウトレンジ戦法」で挑みますが、結果は大敗。指揮を執った小沢治三郎はなぜ、この戦法を採用し、そして海戦後、何を思いながら生きたのでしょうか。海戦前に起きた機密漏洩事件や、日本海軍が直面していた戦略的課題にも着目しつつ、機動部隊を生み出した男の真価と、史上最大の空母決戦の全貌に迫ります。
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更新:07月18日 00:05
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