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明治天皇が自ら体現された「無私のまこと」

2012年07月27日 公開
2022年05月23日 更新

中西輝政(京都大学名誉教授)

日本人らしい心根を尊ぶことの大切さ

しかし孝明天皇は慶応2年(1866)に崩御されます。翌年1月、明治天皇は満14歳で践祚〈せんそ〉(=天皇の位を受け継ぐこと)されます。10代の若い天皇が、倒幕と王政復古という激動の時代を取り仕切る立場に立たれることになりました。

当然、こまかな政治の実務にまで主導権を発揮することは難しかったでしょう。しかし天皇は、その立ち居振舞いによって近代への開化期の真っ只中にあった日本を力強く前へ踏み出させる、という歴史的な役割りを果たされました。

『明治天皇紀』などの記録を参照すると、明治初期、天皇のご生活が大変な勢いで西洋化していることがわかります。明治天皇ご自身も西洋的なものに、あえて言えば「前のめり」と言っていいほど高い関心を示されました。

洋服を着て馬を乗りこなし、江戸城の中を駆け回ることを好まれたお姿は、まるで古い公家社会の因循姑息の中に押し込められてきた青春のエネルギーが、維新後の近代化路線と重なりあって爆発しているかのようです。

馬車に乗って全国津々浦々への行幸を繰り返され、近衛連隊を率いて東京の街路を行軍されたりする、その光景が日本中を一気に近代への開化に衝き動かしたのです。

そんな明治天皇に物心両面で大きな影響を与えたのが、西郷隆盛でした。西郷は戊辰戦争後、鹿児島に戻っていましたが、明治4年(1871)に廃藩置県など大改革実現のために上京します。その西郷が発議し、手掛けたのが、宮中改革だったのです。

西郷は、明治天皇に一人前の君主、つまり「一人前の男」になっていただくべく、宮中の大改革を行ないます。それまで宮中で大きな影響力を誇っていた女官や公家たちを遠ざけ、多くの武士を天皇の側近くに仕えさせることにしたのです。

この改革で、吉井友実 、村田新八、山岡鉄舟、高島靹之助などが侍従として登用されました。いずれも幕末から戊辰戦争で活躍した剛の者であり、明治天皇のご生活だけでなく、その人となりにも大きな影響を与えていきます。

またこの時期に、天皇に学問を進講する侍講も入れ替わります。儒学を進講して明治天皇から厚い信頼を寄せられることになる元田永孚 〈ながざね〉 が侍講になったのも、この頃のことです。

さらに西郷は明治4年の御親兵(翌年、近衛兵に改称)創設以来、近衛都督などを務めて、演習でも常に明治天皇に付き従い、また、西国巡幸(明治5年(1872))に随行するなど、多くの時間を天皇と共に過ごしました。

その時に、「敬天愛人」を大切にした西郷という人間の内面が――つまり、他人はどうあれ「天に恥じない行ないをする」という道徳倫理や、人を深く思う心の大切さなどが――明治天皇の御心に染み渡ったのです。

こうした日本人の心への「目覚め」から、明治天皇は、それまでの行き過ぎた西洋化を危惧し、日本人らしい心根を尊ぶことの大切さに改めて目を向けられます。まさに西郷の影響があればこそといえましょう。

明治天皇は、後年に至るまで折にふれて西郷の思い出話をされていたといわれます。西郷は、明治天皇にとって国家観や人間観、道徳意識を共有できる、真に心を許せる存在だったのではないでしょうか。

そのことは晩年、どこか西郷と精神的に共通するところのある乃木希典を深く信頼し、学習院長に任命して皇孫・迪宮 〈みちのみや〉 (後の昭和天皇)の教育を任せておられることからも、うかがい知れるように思われます。

そのような明治天皇に、大きな転機が訪れます。きっかけは、明治6年(1873)のいわゆる「征韓論」をめぐる政変でした。

明治4年に遣欧施設として派遣され帰国した岩倉具視、大久保利通、木戸孝允たちと、その間、留守を預かった西郷隆盛、板垣退助、江藤新平らが、朝鮮への使節派遣を巡って対立し、激烈な権力闘争の結果、西郷たちが下野し、政府が大分裂する事態に立ち至ったのです。

その後、各地で士族の反乱が頻発します。まさに戊辰戦争以来の一大危機でした。そしてついに明治10年(1877)、西南戦争が起こり、結局、西郷は「賊将」の汚名を着て死を迎えます。

信頼を寄せていた西郷の反乱と死は、明治天皇に大きな衝撃を与え、一時、政務や学問が手につかないこともあったほどでした。しかし、20代半ばであった明治天皇は、西南戦争以後の状況を深く憂慮され、おそらく「身を賭して政治に関わらねばならない」という覚悟を改めて固められたはずです。

 

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著者紹介

中西輝政(なかにし・てるまさ)

京都大学名誉教授

1947年、大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。英国ケンブリッジ大学歴史学部大学院修了。京都大学助手、三重大学助教授、スタンフォード大学客員研究員、静岡県立大学教授を経て京都大学大学院教授。2012年退官し現職。専門は国際政治学・国際関係史、文明史。1997年『大英帝国衰亡史』(PHP研究所)で毎日出版文化賞・山本七平賞受賞。2002年正論大賞受賞。
著書に『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』(PHP新書)『帝国としての中国』(東洋経済新報社)『日本の「死」』『日本の「敵」』(以上、文春文庫)『本質を見抜く「考え方」』(サンマーク出版)など多数がある。

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