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日露戦争の勝利は、日本と世界をどう変えたか

2019年08月07日 公開
2023年09月27日 更新

茂木誠(駿台予備学校世界史科講師)

戦艦三笠

令和元年(2019)の今年は、日清戦争の開戦から125年、日露戦争の開戦から115年にあたる。
日清・日露戦争における日本の勝利は、世界史の視点から見ると、いかなる意味があったのだろうか。今回は日露開戦からその勝利の意味までを、人気世界史講師・茂木誠氏が解説する。

 

日本、イギリス、ユダヤ人、絡み合う三者の思惑

1904年、日本の旅順港攻撃を皮切りに、日露戦争が始まりました。

開戦前、日本はロシアに対し、朝鮮を二分しようという妥協案を示し、戦争回避に努めます。しかしロシアは応じません。なぜなら、こんな小さな島国に負けるわけがない、戦争ですべて奪えると確信していたからです。

ところが、結果は周知の通り、日本が勝利を収めました。この大番狂わせには、さまざまな要因が重なり合っています。

ひとつは、ロシア国内で革命が起きていたことです。ロシアは貧富の差が激しく、その情報を摑んだ日本陸軍は、明石元二郎を派遣して革命派や少数民族を支援しています。

もうひとつは、軍事費の調達です。日本は巨額の軍事費を賄うため国債を発行し、それを外国の富裕層に買ってもらおうとします。

ところが、時の日銀副総裁・高橋是清がニューヨークとロンドンにいって国債を売ろうとしても、全く相手にされません。日本が負けたら、紙くずになるからです。

この日本国債を買ってくれる人が現われました。ジェイコブ・シフというユダヤ人で、有名な財閥ロスチャイルド家の代理人です。ロスチャイルド家もまた、ユダヤ系です。

ロシアにおけるユダヤ人迫害は、凄まじいものでした。ユダヤ人にとってロシアは敵で、だからユダヤ系財閥が日本をバックアップしたのです。ロスチャイルド財閥はまた、イギリス政府のスポンサーでもありました。

こうして見ると、勝利の背景にある構図が浮かび上がります。独立を守ろうという強い意志を持つ日本、アジアでの利権を守ろうとするイギリス、ロシアを憎むユダヤ人……。この三者の思惑がうまく絡み合うことで、日本はロシアに勝つことができたのです。
 

その勝利によってアジア諸国は目覚めた

日露戦争に勝利したことは、日本の歴史にとって、いかなる意味があったのでしょうか。

まず、日本の国際的地位の向上です。日本はロシアに勝つことで、欧米列強から初めて、列強の一つと認められました。その証が、不平等条約、領事裁判権の撤廃です。

ヨーロッパでは、文明国同士でなければ、国際法は適用されないとされました。イギリスは、オスマン帝国やインド、日本は「非文明国」だから国際法は適用しないとしていましたが、日露戦争後、日本を「文明国」として認めたのです。要は、力の論理なのです。

日英同盟はその後も続き、第一次世界大戦では、日本はイギリスに協力して海軍を地中海に派遣し、それによって、終戦後につくられた国際連盟の五大国のひとつともなっています。

もうひとつは、日本の産業革命が本格化したことです。満洲の権益を得た日本は、そこで採れる鉄鉱石や石炭を博多へ輸送し、八幡製鉄所を中心とする重工業を、さらに発展させていきました。

もっとも、いい面ばかりではありません。日露戦争では、満洲で多くの将兵が亡くなりました。そのため、「同胞の血によって購われた地だから」と、満洲の権益を守ろうとしたことが、日中戦争、大東亜戦争へと繫がっていきました。

また、日露戦争に勝利したことから、その時の戦法が陸軍大学校で手本とされ、大東亜戦争のときにも無理な白兵突撃が行なわれるなど、多くの犠牲を出すこととなりました。

さらにいえば、1910年の韓国併合も、今日に影響を及ぼしています。ロシア革命が起き、ロシアの南下が止まった時点で、朝鮮半島は防波堤である必要がなくなりました。併合する必要がないのに、併合してしまった。半島に莫大な投資をしたにもかかわらず、恨みだけが残ってしまうことになります。

勝てるはずのない日露戦争で勝利を得たことで、日本は物事を合理的に判断できなくなったと言えるかもしれません。

ただ、広い視野で見ると、アジア諸国にとっては近代化の目覚めともなりました。

たとえば、オスマン帝国は日本よりも先にミドハト憲法を制定した国ですが、皇帝がロシアとの戦争を口実に憲法を停止、専制政治に戻してしまいました。ところが、遅れて立憲体制を整えた日本がロシアに勝利した。

そこで日露戦争終結後、日本をモデルにもう一度憲法をという運動(青年トルコ革命)が起こり、ミドハト憲法が復活しました。

イランでも、憲法制定を求める運動(立憲革命)が起こりますが、これも日露戦争の影響です。そのうえ、日本の歴史をきちんと学ぼうと、日本ブームが起こりました。

古代イラン王たちの事績をまとめた、イラン版古事記ともいえる『シャー・ナーメ』になぞらえ、明治天皇をたたえる『ミカド・ナーメ』という作品ができたほどです。

イギリスの植民地だったインドでは、国民会議派による反英運動が始まります。ベトナムでもフランスの植民地支配に抵抗し、日本に留学生を送り出すドンズー運動も盛んになりました。

日露戦争は、プラス面だけでなく、マイナス面もあり、すべてを是として受け入れることは難しいでしょう。

しかし、近代日本が世界へ進出していくターニングポイントとなり、アジア諸国の近代化をうながしたことは間違いないのです。

※本稿は、歴史街道2019年7月号特集『日清・日露戦争 名将の決断』より、一部を抜粋、編集したものです。

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