信玄ミュージアム
こうして甲斐も手にした家康だが、その後、甲斐は誰がどのように治めたのだろうか。
武田氏館跡地に鎮座する武田神社の向かい側に、甲府市武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)がある。館内では、武田氏館跡や甲斐の領主たちにまつわる解説展示を見ることができる。
それによると、家康は平岩親吉を甲府に置いたという。また、ミュージアム西側には、平岩が政庁を構えたとされる梅翁曲輪(ばいおうくるわ)があり、一部の堀と土塁が復元整備されており、往時を感じさせてくれる。
甲府市内には、家康が滞在した寺もある。天尊躰寺(てんそんたいじ、尊躰寺)で、甲府市武田氏館跡歴史館からは、車で15分、甲府駅からは徒歩20分ほどだ。
この寺は武田信玄の父・信虎が建立し、その長子・竹松の墓所となっている。竹松は信虎の側室の子と見られ、信玄が生まれた後に早世したという。寺号は竹松の戒名によるものだ。
信玄に兄がいたというのは驚きだが、家康がこの寺に滞留したのは、寺の本尊・真向三尊阿弥陀如来(まむきさんぞんあみだにょらい)の霊験あらたかなることを耳にしたからだとされる。
また寺には、武田遺臣で、家康に用いられた大久保長安の供養塔もある。徳川幕府の甲府代官や金山奉行を担った長安は、天尊躰寺の檀那も務めた。その縁から、寺に供養塔が建立されたのだ。
なお、この寺は文禄慶長期以前、武田氏館の南側にあり、寺の遺構からは多くの埋蔵文化財が発掘された。
天尊躰寺の「葵の紋所の鬼瓦」
ところで、大久保長安というと、金山開発で徳川幕府に貢献したことで知られているが、幕府の貨幣制度が、武田家の影響を受けていることはご存じだろうか。
それを知ることができるのが山梨中銀金融資料館で、天尊躰寺と甲府駅からは徒歩15分ほどの距離にある。
この資料館では、紀元前から現代に至るまでの貨幣の歴史が、豊富な資料をもとに解説されている。
中でも目を引くのが、武田家と徳川幕府の貨幣制度に関するものだ。武田家は四進法をもとにした「両─分─朱─糸目」の貨幣単位を用いたが、幕府の貨幣単位も、それにならったものだという。
館内では武田家が用いたことで有名な甲州金など、武田家ゆかりの貨幣を見ることができるが、注目したいのは糸目金だ。国内でもなかなか見られない貴重な資料で、小型の貨幣ながらも文字が刻まれていて、武田家の鋳造技術の高さがうかがえる。武田家は貨幣面でも、大きな足跡を残していたのである。
山梨中銀金融資料館と「甲州金と江戸の金貨」に関する展示
甲斐善光寺
徳川家康と武田信玄の不思議な縁を感じさせる場所もある。それは甲斐善光寺で、山梨中銀金融資料館からは車で10分、最寄りの善光寺駅からは徒歩7分だ。
かつて上杉謙信と戦っていた信玄は、信濃の善光寺に戦禍が及ぶことをおそれ、その本尊・善光寺如来や什宝を遷し、甲斐に新たな寺を建てて安置した。それが甲斐善光寺の始まりだ。
武田家滅亡後、善光寺如来は織田家によって運び出され、本能寺の変後は家康のもとに遷る。
しかし、家康の夢枕に善光寺如来が立ったことから、家康は甲斐善光寺に本尊を戻すことにした。後に、本尊は秀吉の命によって信濃の善光寺に帰座するが、信玄と家康の奇縁はそれだけではない。
甲斐善光寺の秘仏として、峯薬師(みねのやくし)如来像がある。この仏像は、信玄が三河に出陣した際に鳳来寺から請来したものだ。
ところがこの仏像には、こんな逸話がある。家康の両親が鳳来寺の峯薬師如来像に子授けの願掛けをし、家康はその後で生まれたことから、「峯薬師の申し子」と言われたそうだ。
とすると家康は、甲斐に入ってから、この寺で両親が願掛けをした仏像を拝んだかもしれない──そんな想像が膨らんでくる。
さらに甲斐善光寺には、源頼朝坐像も納められており、頼朝を敬っていた家康は、こちらも拝んだのではないかと思えてくるのだ。峯薬師如来像は御開帳時など、源頼朝坐像は宝物館で拝観できる。
家康と仏像というと、ほかにも訪ねたい寺がある。甲斐善光寺から車で15分ほど、最寄りの石和温泉駅から徒歩5分の大蔵経寺(だいぞうきょうじ)だ。
奈良時代に創建されたと伝わる古刹で、南北朝時代に足利義満の庶子が住職として入り、その際、甲斐守護の武田信成が七堂伽藍を建立し、以来、武田家の祈願寺にもなった。
武田家滅亡後、この寺は家康とその息子・秀忠から保護を受けただけでなく、徳川家の祈願所とされ、家康の念持仏である三面大黒天(さんめんだいこくてん)も寄進されている。
念持仏とは、身近に安置して礼拝する仏像だ。大蔵経寺では三面大黒天を拝観でき、手のひらにおさまりそうな大きさの仏像をじかに目にすると、家康の拝んでいる姿が脳裏に浮かんでくるようだ。
大蔵経寺には、武田信玄が戦勝祈願した勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)も納められており、家康と信玄の両雄が拝んだ像が並んでいることになる。
また江戸時代、寺の庭園には、家康を祀った東照宮が鎮座し、さらに寺が甲府城の鬼門にあたるため、甲府城代が毎月、武運長久の参拝祈願をしたという。
大蔵経寺の庭園
更新:11月23日 00:05