だが、チャラ男が静かに変貌する時が来る。それは、比企の変(1203年)の時だ。比企の変とは、頼家の乳母夫として権勢を誇った比企能員の一族を、北条氏が滅ぼした戦いだ。時房は、この戦いに出陣していない。
この戦いで討ち取られた比企の息子達が、頼家の取り巻きの一員であり、時房の友達だったから、戦うのが忍びなかったのだろうと解釈できる。
その一方で、比企の変の後に頼家が強制的に将軍をやめさせられ、実朝が三代将軍になると、すぐに側近として仕えている。
もしも、心情的に比企氏に近い立場だったら、時政も義時も政子も、時房を実朝のそばに近づけさせはしなかっただろう。それなのに、実朝の側近の1人に加えているということは、チャラ男は表の顔で、実は優秀なスパイだったというわけだ。
この比企の変の後も、有力御家人を排除すべく血で血を洗う粛清が続くのだが、これらの戦いに時房は、義時や泰時と共に出陣している。"蹴鞠100日チャレンジ"に参加していた頃のチャラ男の面影はそこになく、完全に武士そのものだ。
時房の活躍は戦場だけではない。承久の乱で勝利した幕府軍は、戦いで治安が悪化した都の秩序を取り戻すために、六波羅探題を設置。幕府軍が鎌倉へ帰った後も、時房はそこに滞在して都の治安回復に努めた。
さらには、泰時が執権に就任すると、それを補佐する連署という役職に就き、泰時と共に御成敗式目の制定に尽力してもいる。
以前は実朝の家庭教師グループのまとめ役を務めていたし、御家人同士の恋愛トラブルがひきがねとなって起きた合戦級の喧嘩の仲裁役をこなしたし、できないことはあるのだろうかというくらい、様々な能力を発揮している。
戦いもできて、教育も政治も行政も交渉も司法もできる、超絶有能な武士。それが、時房の真の素顔だ。
普段は、チャラ男。しかも、先述の通り、顔と立ち居振る舞いもいい。頼家の取り巻きをしていた比企の息子達を監視していたのに怪しまれないという、抜群の人あたりのよさも持ち合わせている。敵に回したら、一番怖いタイプかもしれない。
更新:11月22日 00:05