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鎌倉幕府の公式歴史記録書である『吾妻鏡』。物語性が薄いはずの歴史書であるが、よく読んでみると、鎌倉幕府に関わった人物たちの個性豊かなエピソードが数多く記載されている。本稿では、実は2つの顔を持っていた武将・北条時房のエピソードを紹介する。
※本稿は、羽生飛鳥著『『吾妻鏡』にみる ここがヘンだよ! 鎌倉武士』(PHP研究所)より、内容を一部を抜粋・編集したものです。
北条時房(1175―1240)
北条時政の息子で、義時の異母弟。最初の名前は時連。通称、北条五郎。鎌倉幕府初代連署(執権の補佐役)。
漫画・アニメ・ゲームなどに、普段はチャラチャラしているが、いざという時には、ものすごく強くて頼り甲斐がある二枚目キャラクターといったタイプが存在する。そんな人間が鎌倉時代に実在した。それが、北条時房だ。
彼は義時よりも12歳年下の母親違いの弟で、鎌倉幕府初期の北条氏の中では新世代に属する。
そのせいか、源頼家が2代将軍だった時代に登場する時房(当時は時連)は、合戦に明け暮れた汗臭い父や兄世代とは違って、頼家の取り巻きとして狩りや船遊び、蹴鞠を楽しみ、実にさわやかだ。
頼家がやっていた"蹴鞠100日チャレンジ"には、時房も一緒に参加。蹴鞠をエンジョイしすぎて、のちに足を痛めて審判役に回ったメンバーの1人になっている。蹴鞠に夢中な頼家に忠告をしていたミスター善人の泰時とは対照的だ。
しかも、頼家の取り巻きの1人から、「時連さん、顔も立ち居振る舞いもかっこいいのに名前だけダサいんで、将軍様に頼んで改名してもらった方がいいッスよ(早く名を改む可きの由、将軍直に之を仰せらる可し)」と言われると、すぐその気になって「時房」に改名するノリの軽さを披露。典型的なチャラ男だ。
更新:11月22日 00:05