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太宰治も自説を展開…2022年大河主役・北条義時の人物像とは?

2021年01月03日 公開
2022年06月15日 更新

末國善己(文芸評論家)

 

最後の源家将軍・実朝をめぐって

義時がかかわった事件で、最も多く取り上げられたのは実朝の暗殺ではないか。

非業の最期を遂げた実朝は、家集『金槐和歌集』を残すなど、文人としても高く評価されていることから、小林秀雄 「実朝」、大佛次郎『源実朝』、吉本隆明『源実朝』など、多くの作家、評論家が取り上げてきた。

太宰治『右大臣実朝』(ちくま文庫『太宰治全集6』所収)もその一編である。

太宰は、実朝と相州 (義時)が不仲だったとの説を否定。相州は幼い頃から実朝に期待していて、将軍に相応しい若者に成長するのを温かく見守っていたが、いつしか実朝に冷淡になったとしている。

作中の相州は複雑な人物で心変わりした理由は明確に書かれていないが、幕府を第一に考える相州と、朝廷との関係を深める実朝の対立が暗示されている。

『右大臣実朝』が刊行されたのが先の大戦中の昭和18年(1943)であることを踏まえると、朝廷に抗う相州には、天皇が絶対だった時代への抵抗が込められていた可能性もある。

実朝は、鶴岡八幡宮に参拝した帰り、大銀杏の陰に隠れていた頼家の息子・公暁に殺され首を持ち去られたとされるが、葉室麟『実朝の首』(角川文庫)は、実朝の首のその後を描いている。

実朝暗殺をめぐっては、公暁の単独犯行説のほかにも、実朝の排除を目論んだ義時、公暁を将軍に担ぎ上げて幕府の権限を掌握しようと考えた三浦義村、といった黒幕がいたとの陰謀説も根強い。

葉室は、直接的な指示はしていないものの、結果的に実朝を死に至らしめたのは義時としつつ、義時自身がどこかで計算が違っていたと考えていたとする。

それでも義時は公暁を殺すまでは計画通りに進めるが、公暁に仕える少年・弥源太が、実朝の首を持ち逃げしてしまう。

ここから首をめぐって、実朝の首を手に入れ幕府の弱体化を喧伝したい朝廷、政子とともに進めていた極秘の朝廷工作を完遂したい義時、幕府に討伐された和田党などが争奪戦を繰り広げていく。この戦いが鎌倉時代の複雑な政治状況を浮かび上がらせていくので、最後までスリリングな物語が楽しめる。

宇月原晴明『安徳天皇漂海記』(中公文庫)は、壇ノ浦で入水した安徳天皇が、琥珀のように全身を包んで守る四つ目の神器・真床追衾によって生き延び、密かに江ノ島に安置されていたとの奇想を描いている。

安徳天皇と対面した実朝は、天皇の尖兵になる決意を固め義時らとの暗闘を開始するのだが、史実と矛盾なく虚構を織り込み、めくるめく物語を作った宇月原の手腕には圧倒されるだろう。

義時が生きたのは、武家と朝廷、武家と武家、武家の家中における内部対立と、政争が複雑だった時期なので、人物も事件もかなり入り組んでいるが、だからこそ面白いドラマが生まれるともいえる。

まだ大河ドラマの開始まで時間があるが、ここで取り上げた小説を読むと人間関係や時代背景が、かなり整理できるはずだ。

 

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