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米沢市・上杉鷹山と東海市・細井平洲~歴史活用によるSDGs、持続可能な地域づくり

2020年06月30日 公開
2023年10月04日 更新

寺田昭一(政策シンクタンクPHP総研シニア・コンサルタント)

なせば成る、なさねばならぬ何事も
米沢城址上杉神社 上杉鷹山公詠碑
 

「学思行、相まって良となす」

細井平洲の出身地である東海市に、聚楽園という駅があります。駅前には徳富蘇峰の書になる「細井平洲先生誕生之地」という古い石碑が建てられており、この駅を基点に平洲記念館まで、3キロ余りの「平洲の歴史を感じる散策路」が整備されています。

平成18年(2006)、この駅の前に、「学思行、相まって良となす」という平洲の教えが刻まれたモニュメントが建立されました。昭和44年(1969)の市制施行以来、東海市では、地元の人々に受け継がれてきた細井平洲の教えを「心のよりどころ」として、教育やまちづくりに活かしてきました。モニュメントの言葉は、東海市が、市民の生き方・考え方の指針として提唱している平洲の3つの教えの1つで、「学んだことを、考え、実行することで、初めて学んだことになる」という実践の大切さを説いた教えです。
 

「勇気」と「先施の心」

2つめが、上杉鷹山が19歳で入部 (初めてのお国入り)する時に平洲が贈った、「勇なるかな 勇なるかな 勇にあらずして 何をもって 行なわんや」という言葉です。

鷹山は14歳で平洲に師事し、17歳で上杉家の家督を継ぎました。その時、鷹山は「受け次ぎて国のつかさの身となれば 忘るまじきは 民の父母」と藩主としての決意を表しています。その鷹山が、お国入りをして、実際に改革に取り組むことになった時、平洲は、「どのような困難があろうと、勇気を持ってすすみなさいよ」と励ましたのです。作家の童門冬二氏は、「勇気とは責任を持つ覚悟」であり「『責任を持とう』と自分自身に聞かせる勇気を持ったうえで、大事なことは何事も恐れずまえむきにいさましく進めていくことの大切さを平洲は教えてくれているのだ」と言います。

そして3つめが「先施の心」。相手の働きかけを待つのではなく、良いことは自分から進んで行なおう。さらに、自分の持っているものを、進んで相手に差し出そうという譲の精神を大切にする心です。
 

「なせば成る」

一方、米沢市では、鷹山と平洲を祀る松岬神社の秋祭りに合わせて「なせばなる秋まつり」が行なわれ、その中で「棒杭市」という無人市も開催されています。

17歳で藩主となり改革に取り組んできた鷹山は、改革の道筋が見えた35歳で家督を譲りますが、その時、世子顕孝の補導役の家臣にしたためた書状の最後に、

「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」

という和歌を書いています。その言葉通り、不屈の精神で藩政改革に取り組んだ結果、最後には、棒杭に代金を入れる籠をつるしただけの無人販売の市を立てても、誰もごまかしたり、盗んだりする人はいなくなるほど、みんなが信頼し合うという美風まで生まれました。「なせばなる秋まつり」はその鷹山の事績と精神を米沢の心として今に活かし、将来につなげていくことを目的とした祭りです。

今、少子高齢化や人口減少など、地域を取り巻く状況には厳しいものがあります。新型コロナウイルス感染症という大きな問題も抱えています。時代が違うとはいえ、鷹山が直面したのも、米沢藩の財政破綻だけでなく、天変地異や飢餓・貧困といった深刻な問題でした。東海市や米沢市では、その平洲や鷹山の経験から導きだされた生き方・考え方を心のよりどころ、指針としながら、互いに交流することで、力強く持続可能な地域づくりの道を歩み続けています。

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