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第60代・醍醐天皇の皇位継承と昌泰の変

2020年05月18日 公開
2020年11月09日 更新

吉重丈夫

平安神宮

「令和」という新時代を迎え、歴代天皇の事績をふりかえります。今回は醍醐天皇をお届けします。

※各天皇の年齢等については数え年で計算して記しています。
※即位年、在位年数などについては、先帝から譲位を受けられた日(受禅日)を基準としています。
※本稿は、吉重丈夫著『皇位継承事典』(PHPエディターズグループ)より、一部を抜粋編集したものです。

皇位継承事典
 

第60代 醍醐天皇

世系38、即位13歳、在位34年、宝算46歳

皇紀1545年=元慶9年(885年)1月18日、源定省(宇多天皇)の第一王子として誕生された敦仁親王で、母は贈太政大臣・藤原高藤の娘の藤原胤子である。

藤原高藤は藤原冬嗣の孫である。藤原高藤が天皇の外祖父になり、それ以後、第70代の後冷泉天皇の御世まで170年にわたって藤原北家の者が外祖父となって、皇位継承に大きく関わるようになる。

中宮・藤原穏子の他に20人の女御や更衣を迎え、寛明(ゆたあきら)親王(朱雀天皇)、成明(なりあきら)親王(村上天皇)を含め三36人の皇子女をもうけられた。

皇紀1547年=仁和3年(887年)、父・源定省の皇籍復帰・即位(宇多天皇)に伴い、3歳で皇族となられた。

皇紀1549年=寛平元年(889年)12月28日、5歳で親王宣下を受けられ、寛平2年12月17日に源維城(これざね)から敦仁と改名される。

皇紀1553年=寛平5年(893年)4月2日、第一皇子・敦仁親王(醍醐天皇)が9歳で立太子される。

9歳での立太子であるから、皇位継承に関しては宇多天皇の意向がはっきり表れている。

皇紀1557年=寛平9年(897年)7月3日、先帝・宇多天皇の譲位を受け、7月13日、皇太子・敦仁親王が13歳で即位された。先帝・宇多天皇は基経の死去(寛平3年)で藤原氏との軛もなくなり、前の藤原一族から皇位継承の問題を持ち出される前に、31歳で実子に譲位された。

宇多天皇は新たに即位された醍醐天皇には自らの同母妹・為子内親王(醍醐天皇の叔母)を正妃に立てさせ、藤原北家嫡流が外戚となることを避けようとされた。

醍醐天皇は臣籍に生まれて後に即位された唯一の天皇である。父帝・宇多天皇の訓示「寛平御遺誡」を受けて、藤原時平(基経の長男)、菅原道真を左・右大臣とし、政務を執られる。この治世は34年の長きにわたり摂政・関白を置かず天皇親政が続き、後世「延喜の治」として崇められた。

11月20日、大嘗祭を催行される。

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