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西郷隆盛、人生の金言~南洲翁遺訓に学ぶ

2018年12月09日 公開
2022年02月04日 更新

童門冬ニ(作家)

仕事に関する金言

「道」を行う人は、評判を気にしない

「『道』を行っている人は、天下があげて悪口を言ってもまったく気にしない。逆にまた、天下をあげて褒められても、これもまた気にしない。それは、自分自身を信じているからだ。自分のやっていることを信じているからである。同時にまた、こういう人は、いたずらに世間の目をそばだたせるようなパフォーマンスを行わない。大袈裟な身振りや、大袈裟な表現をとらない。慎ましやかに、自分の信じたことを成し遂げていく。だから、自分に自信を持っているのだ」

ビジネスマンのタイプは、常に二つに分かれる。つまり、華やかな仕事ばかり狙って、大向こうを唸らせ、それによって栄進を願うタイプと、そうではなく、地道にコツコツと、目立たない場所で身近な仕事を成し遂げていくタイプである。しかし、どちらかといえば、組織の中で評価されるのは前者だ。よく、「野に遺賢なし」というが、必ずしもこれは正しい言葉ではない。野に遺賢はたくさんいる。しかし、身振りの大きい、表現の誇大な連中のほうが目立つから、結局それに騙されてしまう。これは、上役に、そういう癖があって、つい、目立つほうを見てしまうからである。しかし本来は、西郷の言うように、「道」すなわち、多くの人々をしあわせにするために、自分を犠牲にして、コツコツと働いている人をもっと高く評価すべきだろう。
 

屁理屈ばかりこねていて、実行できない者は、剣術の見物人と同じだ

「昔の聖賢に学ぶ者が、ただ理屈だけ学ぶのは間違いだ。朱子も、いかに立派なことを言っても、白刃を見て逃げる者は、どうにもならない人間だと言っている。したがって、現場にあっては傍観者であってはならない。理屈を言う以上、必ず自分も実行できなければならない。ちょうど、人の剣術の試合を見て、傍目八目的に脇でいろいろ意見を言っているが、それじゃあ、おまえが出てきて、いま言った理論どおりにやってみろ、と言われたときに、逃げていくのと同じことだ。卑怯の振る舞いというべきであって、やはり実行できないことは大きな口を叩くべきではない」

 

チャンスとまぐれとは違う

「よく世の中の人は、チャンスがきたと言っているが、それはまぐれのことが多い。本当のチャンスというのは、理を尽くし、正しい道を行い、勢いをつまびらかにして動くということなのだ。いつも、心の底に世の中を憂える誠の心がなくて、ただ時のはずみに乗じて仕事がうまくいったからといって、それはけっしてチャンスがきたのではない。単なるまぐれにすぎない。このへんを勘違いしている人が多い」

これも、耳の痛い言葉だ。われわれ自身も、よくこのチャンスとまぐれとを取り違える。西郷の言うチャンスとは、はるかに苦渋に満ちたものであり、本人の汗と脂の努力によってもたらされるものである。しかも、きちんと理論が組み立てられており、青写真もある。そして、その青写真に従って、労力を惜しまずに着々と実行するからこそ、チャンスが訪れるというのだ。
 

才知だけでは、世の中は動かない、仕事も完成しない

「いまの人は、才と知だけあれば、仕事は思うままに行えると言う。とんでもない話だ。逆に、才にまかせて仕事をしている人を見ていると、はらはらする。危なくて見ていられない。才、すなわち頭だけで、物事は成り立たない。つまり、ボディーがなければ何事もできない。頭だけあっても、動く胴や手足がなければ、仕事は完成しないのだ。そして、このボディーや手足が何によって動くかといえば、それはやはり、頭、すなわち才の底に人間の誠が存在するか否かによる。誠がなければ、手や足もきっと頭に愛想をつかすことだろう」

 

君子の心とは、自然にとけ合っている人間の心をいう

「あるとき、西郷先生に従うと、先生は犬を連れて兎を追った。山野を跋渉して、終日飽きなかった。そして、谷間の一軒の家に泊まった。風呂から出て、非常に明るい表情でこうおっしゃった。『君子の心というのは、いつもこうありたいものだ』と」

西郷隆盛は、座右の書として多くの仲間たちと『近思録』を読み抜いた。同時に、佐藤一斎の『言志録』も読み抜いていた。さらに、『老子』を読んでいたともいう。ここにいう君子の心は、どこか老子の心境に似ている。けっして世捨て人的な投げやりな、諦めの境地に達したわけではなく、やる気満々のまま、たまにはこういう気分を味わうことが、人間にとっては大切だということだろう。また、忙しい戦場のような職場に戻っても、自然の中にとけ込んで得たこういう心を持っていれば、どんなことにも慌てずに対応できるということではなかろうか。地獄がそのまま動いているような通勤電車に喘ぎ、職場に行って、また陰湿な争いにくたくたになるビジネスマンにとっては、こういう西郷の心の持ち方が、あるいは心の緩衝装置になるような気がする。
 

どんな困難に際しても、必ずいい考えは湧くものだ

「人間の中には、自分は思慮が乏しいから、困難な場に遭遇するとどうしていいかわからなくなる、ほかの人を見ていると、慌てずにいい知恵を湧かせて対応しているようだが羨ましい。なぜ、ああいうようになれないのだろうか、と嘆く者がいる。そんな嘆きは無用だ。人間は、その場に際すれば必ず知恵が湧いてくる。どんな困難なことも、十のうち八、九は必ず実行できるものだ。反対に、思いつきはよくない。たとえば、夢を見る。夢の中で何かを思いつく。そして、これはとても素晴らしいことだ、朝起きたらさっそく職場に行って実行しよう、と考える。ところが、目が覚めてみると、夢の中であれほどいい思いつきだと思ったことが、実にくだらないことで、取るに足らないものだということを悟る。だから、思いつきなどというものに価値をおく必要はない。自分の経験に照らして、自分を信じれば、必ず困難事に際してもいい知恵は湧くものだ」

これは、平凡なサラリーマンにとっては慰めと励ましを与えてくれる。確かに、西郷の言うようなことはよくある。西郷は、いまでいえば地方事務所の一書記から、政府最高のポストにまでのし上がった。その過程で、あるいは、「俺は、柄にないポストに就かされたのではないか?」「能力を超えた椅子に座らされたのではないか?」と思ったことだろう。謙虚な彼のことだから、何度もそんな思いをしたに違いない。しかし、西郷はみごとに成し遂げた。後ろを振り返ってみれば、おぼつかないながらもそういうポストの責務をきちんと果たしたのである。しかし、だからといって驕るわけではない。そうではなくて、「人間は、自分の能力を超えるような状況に遭遇しても、人事を尽くせば、必ず天が味方してくれる」という考えを貫いたからだろう。

※本記事は童門冬二著『西郷隆盛 人を魅きつける力』(PHP文庫)より一部を抜粋編集したものです。

著者紹介

童門冬二(どうもん・ふゆじ)

作家

1927年東京生まれ。東京都職員時代から小説の執筆を始め、’60年に『暗い川が手を叩く』(大和出版)で芥川賞候補。東京都企画調整局長、政策室長等を経て、’79年に退職。以後、執筆活動に専念し、歴史小説を中心に多くの話題作を著す。近江商人関連の著作に、『近江商人魂』『小説中江藤樹』(以上、学陽書房)、『小説蒲生氏郷』(集英社文庫)、『近江商人のビジネス哲学』(サンライズ出版)などがある。

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