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中間管理職こそ西郷に学べ!~作家・童門冬二が西郷隆盛を書いた理由

2018年10月18日 公開
2018年10月18日 更新

童門冬二(作家)

西郷隆盛

西郷の手法はリストラそのもの

現代は国の内外を問わず、さまざまな問題が山積している。国際化とか情報化という言葉をひんぱんに耳にするが、裏を返せばいまは日本の片隅に生きていても、一個人の考え方や一企業の考え方だけでは、個人活動や企業活動ができなくなってしまったということであろう。そのためにはいろいろな情報を取り入れて、そこに含まれている問題点を取り出し、自分で考えて、選択肢をいくつか用意し、いちばんよい方法を選び取るというスタイルの意思決定、あるいは判断が切実に求められている。

そういう状況からいうと、いわゆる中間管理職のリーダーシップのとり方もまた複雑だ。特にヤング・ジェネレーションとのジェネレーション・ギャップが表面に出てきており、コミュニケーションが成り立ちにくいといわれている。彼らは異星からきたエイリアンで、とうていわれわれとは話が成り立たないというようなことをよく聞く。また、極端な人は、どこまで我慢できるかが、いまのリーダーの命題だともいう。本当にそうだとすれば、中間管理職が我慢の限界にきて、若い連中に腹を立ててしまっているということだ。

これについては後で詳しく書くが、腹を立てているというのは、いってみれば皆既日食的なコミュニケーションであって、現在は部分日食的なコミュニケーションに切り換えなければ、もう若い人たちと付き合ってはいけない。西郷はそれを実行した。

「それを」というのは、つまり皆既日食ではなく、部分日食的なコミュニケーション回路で彼は物事を成し遂げていったのである。

さて、「いま、なぜ西郷か?」ということを整理してみる。

1つは、彼が生きた時代の苦悩を身をもって体験し、その解決策のために努力して生き抜いたということ。もう1つは、あらゆるトレンドからけっして逃げなかったということである。正面から必ず立ち向かった。

その立ち向かい方にもいくつかの方法があった。たとえば、雪国では、人が雪に立ち向かう場合、次のような3つの方法があるといわれている。1つは雪に克つ、すなわち克雪。もう1つは雪と親しむ、すなわち親雪。もう1つは、雪を利する、すなわち利雪。この3つの方法だ。

西郷の生き方を見ていると、この克雪、親雪、利雪の3つがうまく取り込まれていて、状況状況に応じてこれを実にうまく活用していたといえる。だからこそ彼は、殺されかかったり、あるいは死にかけたりしても、すぐ蘇って、パワーを再生し、みごとに生き抜いていった。しかし彼は、生き返ったときには、もう昔の西郷ではなかった。勝てなかった雪に対して、これと仲よくしようという親雪の方法をとったり、あるいは雪から利益を得ようというように、雪を踏み敷いて逆に雪の含んでいる活用部分をうまく取り出すことによって利雪の方法をとった。われわれが西郷から学ばねばならぬのは、このユニークなリーダーシップだ。

いってみれば、彼のとった方法というのは、真のリストラクチュアリングではないかと思う。

リストラクチュアリングは「企業の再構築」と訳されている。そしてその再構築も、事業内容だとか財政内容の再構築の意味に使われる。ところが、この方法が、日本では縮小再生産・減量経営的な意味に使われることが多く、イメージが暗い。そのために働く人々が非常にモラール(士気)を下げる場合がある。しかし、西郷が使ったのは、そういう暗い意味でのリストラクチュアリングではない。

本来、リストラクチュアリングというのは、次のような手法をたどるといわれている。まず、企業が面している諸状況に対して改善の意欲、あるいは志を持つグループが発生する。特にこのグループは中間管理職に多い。上部のトップマネジメント・グループでもなければ、下部の一般のロー層、つまり、現場の従業員でもない。変革グループがまず中間管理職の間に発生する。

いままでの変革グループの人たちは、自分たちの持っている変革思想がいちばん正しいと信じているため、「俺たちの主張は正しい」ということを前面に押し出して突出しがちだった。しかし、こういう突出グループは必ず潰された。まず足を引っ張られる、上からぶっ叩かれる。結局は何の痕跡も残らず雲散霧消してしまう。

こうしたことは、明治維新の成立過程を見ていると実によくわかる。最初、個人サイドで社会変革を起こそうとしたグループ、つまり学者とか、いわゆる志士と呼ばれた浪士たちがやったことは、すべてこれに類する。

うまくいった場合もあるけれども、それは一過性であって、永続性がない。

結局、明治維新というのは最後には変革の中心となった薩摩藩や長州藩、あるいは土佐藩であり、これに対抗する側の幕府にしても、会津藩や、桑名藩、あるいは庄内藩のように、いってみれば組織が前面に出てきた。つまり、個人から発生した幕末維新のプロセスも、結局は組織対組織の争いになり、その組織がどういう情報をつかみ、問題点を摘出して、どんな選択肢を選んで実行に移していったか、この戦いであったといえる。

このことは、いまの企業の経営対策や経営戦略と比べてもまったく変わるところはないし、また、その組織内にあって、リーダーシップを発揮する中間管理職が、いかに生きたかということにもつながっていく。西郷や大久保利通、あるいは木戸孝允、坂本龍馬、伊藤博文、どの人物をとってみても結局は、彼らも組織の内部で生きた一リーダーにほかならない。坂本龍馬にしても、自由人であったけれど、亀山社中、のちの海援隊を組織した。つまり、彼は一人の力ではどうにもならないと思っていたからこそ、能力のある個人をたくさん集めることによって一つの組織をつくったのである。

本書では、西郷が生きた時代のトレンドを克雪・親雪・利雪の論理によって、1つ1つ克服していったその手法について学びたい。西郷の行為は、ほんとうのリストラクチュアリングそのものであり、このことを底流、つまり、地下水脈として流しながら、西郷の軌跡を分析し、考えていこうというのがこの本の目的である。だから本書は、読者対象をすでにリーダーシップを発揮しなければならない立場にある、いわゆる中間管理職を頭の中に置いている。

特に、現在の企業をとり巻く厳しい環境の中で、組織内でなかなか思うようにならないとき、われわれはどのように対応すればよいか、そのことを西郷に学ぼうということだ。

 

※本記事は童門冬二著『西郷隆盛 人を魅きつける力』(PHP文庫)、まえがきより一部を抜粋編集したものです。

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