2018年11月08日 公開
2022年06月07日 更新
オットー・ビスマルク
永きにわたって分裂状態が続いていたドイツを統一に導いた名宰相。明治の政治家からも尊崇を受けた傑物。
(イラスト いのうえもえ)
偉大なる名宰相、オットー・フォン・ビスマルク。
彼が生まれた年は、大きな時代の転換点となった年でした。
ナポレオン1世がワーテルローで敗れ、絶海の孤島セントヘレナに流された年。
そして、戦後の新秩序を再構築するため、ウィーン会議が開催された年です。
以後、歴史は「ウィーン体制期」と呼ばれる新時代へと突入していきます。
ところで、ビスマルクの時代のドイツは、すでに分裂状態に陥ってから6世紀近くが経ち、もはやそれが常態となっていましたから、昨日までと同じ日が、明日も来年も100年後もずっと続くかと思われていました。
しかし。
世の趨勢はひとたび動き始めると、人間の想像をはるかに超えて激しい。
ウィーン体制期に入るや、ヨーロッパ中で「民族主義(ナショナリズム)」の嵐が猛威を揮い、その波はドイツをも襲います。
「我ドイツが国も統一国家としなければ! このままでは時代に取り残されてしまうぞ!」
そうした危機感・焦燥感は拡がる一方でしたが、如何せん、あまりにも永きにわたって分裂状態が続いていたため、すでにドイツの政治・経済・社会、ありとあらゆるシステムが隅々にまで「分裂状態」を前提に成り立っていました。
これを一足飛びに「統一」させるなんて、誰が見てもとても不可能なことのように見えました。
そんな時代の要請の中で登場したのが、ビスマルクです。
ビスマルクは、若いころは酒と狩猟と決闘に明け暮れる乱暴者としてその名を馳せていました。また相当の変人でもありました。
ビスマルクの逸話として、嘘か真か、こんな話も伝わっています。
──彼が友人と猟に出たときのこと。その友人が足を踏み外して川に転落してしまいます。泳げない友人は必死にビスマルクに救いを求めましたが、彼は助けようとするわけでもなく、狼狽するわけでもなく、眉ひとつ動かさずに答えました。
「すまぬ。私も泳げぬのだ。したがって、このまま君が溺れもがいて死んでいくのを黙って見ているしかないが、それも忍びない。せめて楽に死なせてやるよ」
そう言うが早いか、猟銃を友人に向けます。
「殺される!」
そう思った友人は、殺されてなるものかと、溺れながらも泳ぎ、もがきながらもなんとか岸にたどりつくことに成功します。
命は助かりましたが、自分を殺そうとしたビスマルクに怒り心頭。
「オットー、貴様!」
ところがビスマルク、鬼の形相で彼の胸ぐらを掴んで迫る友人に対して大笑いしてひと言。
「ほら! 俺の思ったとおりになっただろ?」
人間、必死になればなんとかなるもの。
友人を自力で岸までたどりつかせるために、こんな猿芝居を打ったというのです。
本当に最初から猿芝居だったのか、ホントは殺すつもりだったのに、助かっちゃったからとっさの言い訳をしたのか。
ビスマルクの本心は誰にもわかりませんが、ひとつ、わかることがあります。
それは、このビスマルク、「きわめて冷徹でしたたかな男」だということ。
しかし、そんな男だからこそ、混迷を窮めるドイツを引っぱっていくのに相応しい人物でした。
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「銃剣が支配する時代にのみ、採用すべき人物」 >
更新:11月24日 00:05