2018年01月06日 公開
2023年07月03日 更新
明治維新の傑物とされ、同時代から現在に至るまで、数多くの人たちに慕われている西郷隆盛。しかし、西郷の行動原理や心中は、一筋縄では捉えがたい。マーケティングの第一人者として、長年、コンサルティングを行なってきた神田昌典氏は、どのように分析するか。1月6日発売の『歴史街道』2018年2月号から、記事を抜粋して紹介する。
幕末維新期に行なわれた、時代を変える大勝負を、トランプのポーカーゲームに例えるなら、エースやキングは大久保利通や木戸孝允、もしくは坂本龍馬といった面々になるでしょう。
では、西郷隆盛は何か。私は、"ジョーカー"だったのではないか、と考えています。他の手札との組み合わせ方によって、どんなカードにもなる存在です。
ちなみに龍馬は、西郷のことを、「少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く」と評しています。
西郷という人物の解釈は、非常に難しい。というのは、元治元年(1864)の第一次長州征伐では幕府軍の参謀となりながら、慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の東征大総督府下参謀として旧幕府と敵対し、さらに明治10年(1877)の西南戦争では新政府に対して反乱を起こす、というように、立場が一貫していないように見えるからです。
言い方は悪いかもしれませんが、西郷は、周囲の人たちによって、都合良く利用されていたところがあります。まさに、「切り札」として使われていました。
では、西郷に「軸」がなかったのかと言えば、まったくそんなことはありません。時代の変革を推し進めていくという点において、一切ブレることがありませんでした。
時代を変えるためであれば、敵も味方も関係なく付き合うし、ヒーローにも悪にもなる。自らの立場に拘泥することがない。それが西郷のすごさです。
出会ったすべての人に愛されたとも言われていますが、その点では、むしろ扱いづらい人物だったように思えます。だからこそ、島津久光に疎まれて、島流しにされたりもしたのでしょう。
更新:12月04日 00:05