2017年12月06日 公開
2022年07月05日 更新
文政10年12月7日(1828年1月23日)、西郷隆盛が生まれました。明治維新の立役者であり、西南戦争の悲劇とともに、今でも鹿児島を代表する英雄です。
江戸無血開城を自分の一存で引き受けたことで、勝海舟は「私」よりも「公」を重んじた西郷を終生、大人物として認め続けました。明治天皇からも深く信頼されていたことはよく知られています。
彼が西南戦争で薩摩の士族に担がれたことについて、今でも様々な解釈がなされています。あくまで「公」を重んじるとともに、人一倍感情の量が豊かな西郷のこと。明治政府のやり方について姑息なものを感じ、正したいという気持ちがあったようにも思えます。また、西洋文明が貪欲な「覇道」に基づくことも、逸早く気付いていました。西郷はこんな内容を語っています。
「人間が知恵を働かせるのは、国家や社会のためである。そこには人としての道がなければならない。電信を設け、鉄道を敷き、蒸気機関を造るにしても、なぜ電信や鉄道がなくてはならないのか、必要の根本を見極めておかなければ、開発のための開発に追われてしまう。まして外国の盛大を羨んで利害損得を論じ、家屋から玩具に至るまで外国の真似をして贅沢の風潮を生み、財産を浪費すれば、国力は疲弊し、人の心も軽薄に流れ、結局は日本そのものが滅んでしまうだろう」
人が行うべき正しい道 、つまり「道義」を重んじた西郷らしい言葉ではないでしょうか。
更新:11月21日 00:05