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関東大震災発生。そのとき、奇跡的に延焼を免れた町があった!

2017年09月01日 公開
2020年09月10日 更新

9月1日 This Day in History

関東大震災防火守護地
防火守護地碑
(東京都千代田区秋葉原)
 

今日は何の日
大正12年9月1日、関東大震災が発生

大正12年(1923)9月1日、関東大震災が起こりました。日本災害史上最大級の災害といわれます。東京の被害にばかり目が向けられますが、震源断層は神奈川県内にあり、同県の被害も甚大でした。この震災で190万人が被災、10万5000人余りが死亡(大半は焼死)、もしくは行方不明になったといわれます。そうした中で、迫り来る火に町の人々が一丸となって立ち向かい、奇跡的に延焼を防いだ事例があることを今回はご紹介しましょう。

秋葉原からもほど近い和泉公園に、「防火守護地」の石碑が建っています。碑には「この付近一帯は大正十二年 九月一日関東大震災のときに町の人が一致協力して防火に努めたので出火をまぬかれました。その町名は次の通りであります。佐久間町二丁目、三丁目、四丁目、平河町、練塀町、和泉町、泉神田三丁目、佐久間町一丁目の一部、松永町の一部、御徒町一丁目の一部」と刻まれています。

震災で倒壊を遥かに上回る被害をもたらしたのが火災でした。9月1日当日から翌日にかけての火災で、当時の東京15区の44%が焼失。 しかし被害の大きかった下町で、ぽっかりと焼け残ったのが、神田区佐久間町、和泉町の住宅密集地だったのです。 神田佐久間町の名は、江戸時代の材木商・佐久間平八に由来します。神田川に沿って「材木河岸」と呼ばれたのが佐久間河岸、柳原河岸で、江戸時代から大正時代に至るまで、物資が陸揚げされて流通する拠点でした。 一方で材木小屋などが火災の火元になることが多く、江戸の頃から「またも火元は佐久間町」といわれ、「あれは佐久間町じゃねえ、悪魔町だ」と罵られることもありました。 幕府も事態を重く見て、材木置き場を深川方面に移動させ、住宅地に火除け地を設けます。 明治の初めにも付近から出火したため、新たに火除け地が設けられ、火伏せの社が勧請されました。それが「秋葉の社」と誤伝されたことから生まれたのが、秋葉原の地名です。当時は「あきばのはら」と称していたようです。そうした不名誉な経緯があったことから、地元の人々は火の元、火の始末にはことのほか気を遣いました。他の町よりも多くの天水桶を設け、火の用心に努め、「何があってもこの町から火を出さない」という長老たちの強い決意のもと、防火訓練も行なっていたのです。

そうした中で起きたのが、関東大震災でした。昼過ぎには周辺の町が燃えた火の粉が、佐久間町付近にも降りかかり始めます。 周辺の町の人々は火に追われ、隅田川の対岸に逃げ、佐久間町付近の人々も逃げる準備をし始めました。ところが神田川に架かる和泉橋や美倉橋に町内会長や町のリーダーが集まり、町の人々に呼びかけます。 「この町のもんは逃げてはいけない。みんな桶やバケツを持って、集まってくれ」。その声に、慌てていた人々は我に返り、日頃の防火訓練を思い出すのです。そして体の不自由な人や子供を上野方面に避難させると、町の人々は近くの貯水所や神田川から水を汲み上げて、バケツリレーで火が付いた家屋を次々と消火していきました。またポンプを製作する会社から借りた消防用ポンプ2台を活用して、火が迫る場所に放水して延焼を食い止めます。 しかし火の勢いは衰えず、強い風に巻き上げられた火のついたムシロやトタンなどが、あちこちに落ちてきます。 これに対しては水でぬらした布団やムシロで押さえつけ、また竿の先にぬれたボロ布をつけた「火ばたき」をもって、消し止めました。 さらに防火帯を作るために、住宅を壊して延焼を防ぎます。

こうした活動を、夜を徹して行ないました。 夜が明けると、蔵前方面から猛烈な火の手が迫り、ついに怖れていた事態となります。佐久間町の中心にある佐久間小学校の二階建て校舎が燃え始めたのでした。 疲労困憊した人々が「万事休すか」と絶望しかけた時、一群の人々が小学校に飛び込み、消火活動を始めます。 小学校を卒業した中学生、卒業生たちでした。彼らは自分たちでバケツリレーを行ない、机や椅子を積み上げて二階の屋根を破り、消火に努めます。 火の勢いは強くなるばかりでしたが、子供たちのその姿に町の人々も奮起し、次々と消火活動に加わりました。 そして総勢200人が消火に努めた結果、小学校は午後6時には鎮火するに至ったのです。

9月3日、東京を焼き尽くした業火がようやく鎮まった時、神田佐久間町、和泉町のみがしっかりと焼け残っていました。 東京府は町の人々の努力と功績を称え、昭和14年(1934)、一帯を「町内協力防火守護之地」と命名したのです。防災は避難はもちろんですが、身の安全を確保しつつ、時にそれに立ち向う気持ちも必要であることを、公園に建つ碑は教えてくれるように思います。

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