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ファティマの奇跡とは~封印された聖母マリアの予言

2017年05月13日 公開
2022年06月16日 更新

5月13日 This Day in History

ファティマの大聖堂
ポルトガル ファティマ大聖堂

今日は何の日 1917年5月13日

ファティマの聖母が出現

1917年(日本の大正6年)5月13日、ポルトガルのファティマの3人の牧童の前に、聖母マリアが姿を現わしたといわれます。ローマ教皇庁が正式に奇跡として認めた、「ファティマの聖母」「ファティマの預言」です。

ファティマはポルトガルの山の中にある村です。第一次世界大戦の最中の1917年5月13日、3人の牧童の前に謎の貴婦人が現われました。牧童はルシアという10歳の女の子、ルシアの従弟でフランシスコという男の子、そしてその妹で7歳のヤシンタです。彼らは、祈り方は知っていましたが、読み書きは誰も知りませんでした。

この日、3人がいつものように羊たちを連れて丘の上で遊んでいると、突然、強い閃光が走り、小さな柊の木の上に、光そのもののように輝く貴婦人が立っていたといいます。貴婦人は子供たちに、6ヵ月間続けて、毎月13日にここに来るように望み、子供たちはその言葉に従って、妨害にあいながらも毎月貴婦人に会いました。そして貴婦人から様々なメッセージを受け取り、6ヵ月目に貴婦人は「ロザリオの聖母」と名乗ったといいます。

貴婦人と3度目の邂逅となった7月13日、貴婦人が両手を広げると、3人の子供は一瞬ですが、強い光線とともに火の海のような光景を見せられました。そこでは悪魔や人間のかたちをした霊魂が、絶望と苦悶のうちに火の固まりとなっています。貴婦人は、これは地獄の様子であると告げました。子供たちは地獄の実在に戦慄します。

そして貴婦人は「私があなた方に言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、戦争(第一次世界大戦)は終わるでしょう。しかし人々が神に背くことをやめないならば、ビオ11世(ローマ教皇)の御代にもっとひどい戦争が起こるでしょう」と警告しました。さらに貴婦人はロシアの奉献を求め、「その求めに応じればロシアは回心し、平和が来るでしょうが、そうでないならばロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多くの苦しみを受けるでしょう」と警告します。貴婦人の言葉が、第二次世界大戦と共産主義革命を指していることは、容易に見当がつくでしょう。

さらにもう一つ、いわゆる第3の預言もこの時に語られたといわれますが、内容はわかりません。なお3回目の出現の時には、子供たちの他に800人~1000人以上もの人が立ち会っていました。8月は、子供たちは行政側の弾圧で町に連れていかれ、貴婦人の出現に立ち会うことはできませんでした。しかし子供たちの話を信じる巡礼者が、2万人近く集まっており、彼らは強い閃光とともに木の上に白い雲が降り立ち、また空に上っていくのを見たといいます。

またその6日後の8月19日、祈りを捧げようとする子供たちの前に、予期せぬかたちで貴婦人が現われました。9月13日の5回目の出現の時には、貴婦人は子供たちに、「10月13日には、すべての人が信じるように、一つの奇蹟を行ないます」と告げます。9月13日には3万人ほどの人が集まっていましたが、多くの人が空を移動する球体を見たり、白い花びらのようなものが降ってくるのを見ました。

そして10月13日。その日は朝から雨でしたが、前月を上回る大群衆が集まりました。出現した貴婦人は子供たちに、「私を称えてここに聖堂を建てることを望みます。私はロザリオの聖母です。毎日ロザリオの祈りを続けて唱えなさい。戦争は間もなく終わるでしょう」と告げます。そして聖母が去っていく時、ルシアは聖母に促され、「太陽を御覧なさい」と叫びます。すると降り続いていた雨が急に止み、雲が切れて太陽が顔を出しました。太陽は様々な色の光線を発した後、ダンスをするかのように動き、時に急降下するように動きました。その熱で雨に濡れていた群集の服は乾き、この10分間の異常現象は居合わせた新聞記者たちも目撃して、翌日のポルトガル中の新聞が大々的に報じました。

1930年、現地管区のレイリア司教によって聖母の出現は公認され、同年、教皇ビオ12世によって、ファティマに参詣する者の贖宥が宣言されます。 またカトリック教会・ローマ教皇庁は一連の現象を聖母の出現と公認し、5月13日をファティマの聖母の記念日としました。なお3人の牧童のうち、フランシスコとヤシンタ兄妹はほどなく天に召され、最年長のルシアは修道女となって、預言の内容を教皇庁に伝えます。

第3の預言について、聖母は1960年に公表するようにと指示しましたが、教皇庁は公表しませんでした。 それがいわゆる「ファティマ第3の預言」とされるものです。この記録を見たローマ教皇ヨハネ23世は絶句して再度封印し、次代のパウロ6世は衝撃を受けて卒倒し、数日間人事不省に陥ったともいわれます。

そして2000年に至り、教皇庁は「第3の預言」は1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件を指していたと発表しました。しかし真の内容を伝えたルシアは「それはほんの一部で、バチカンは嘘をついている」と司法省に提訴しています。そのルシアも2005年に97歳で他界しました。

この一連のファティマの聖母の奇蹟と、第3の預言が何を意味するのか、解釈はさまざまにあろうかと思いますが、大きな警告を意味するのであろうことはキリスト教徒でなくても察しのつくところではないでしょうか。

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