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歴史街道 » WEB情報箱 » 大坂の陣、参陣するなら、徳川方? 豊臣方? » 画像4 枚目
WEB情報箱
2017年01月06日 公開 2024年12月16日 更新
歴史街道脇本陣
真田信繁さん
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大坂の陣は所詮、大坂方に勝ち目はなく、真田信繁らは「死に花」を咲かせようとしたのだ…。そう語られることがよくありますが、果たして真実でしょうか。関ケ原に倍する軍勢が対峙した冬の陣はもちろん、堀を埋め立てられ、大坂城が裸城となった夏の陣においてすら、大坂方の武将たちは戦意高く、関東方の大軍勢に最後まで挑みました。寄せ集めの将兵である彼らを一つにしたのは、真田信繁らが立案した絶妙の策と、勝利への希望です。すなわち家康を「討つ」ことさえできれば関東方は瓦解し、逆転できるというこの戦いの本質を理解し、勝つことを諦めていなかったのです。「死に花」とは真逆の、勝つために戦った信繁と大坂の陣を描きます。第二特集は「日本史をより深く愉しむ法 後篇」です。
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更新:08月10日 00:05
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