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夏目漱石が講演した和歌山県議会議事堂が、この春一般公開

2016年03月17日 公開
2023年10月04日 更新

『歴史街道』編集部

 

濱口梧陵初代議長で始まった和歌山県議会と議事堂の建設

 

和歌山県議会の始まりは、明治12年(1879)5月5日の第1回通常回に遡ります。この時、初代議長を務めたのが濱口儀兵衛〈はまぐちぎへえ〉(梧陵〈ごりょう〉)でした。

濱口梧陵と聞いて、「稲むらの火」を思い浮かべた方もいらっしゃるかもしれません。安政元年(1854)の安政南海地震の際、夜間であったため、濱口は田の藁に火をつけて避難誘導し、村人を津波から救いました。「稲むらの火」では刈り取った稲の束に火をつけたことになっていますが、そのモデルが濱口であり、小泉八雲は彼を「生ける神」と称賛したといいます。

そんな人物が、和歌山県議会の初代議長を務めていたことは、和歌山県にとっても誇らしいことでしょう。

濱口が議長を務めた和歌山県議会の第一回通常会が開かれたのは、明治12年(1879)5月のこと。当時、議事堂はなく、和歌山師範学校講堂で開かれ、その後は、六番丁の元集産場(物産・工芸品などを蒐集・陳列した場所)の建物などが使われました。

今回紹介する和歌山県議会議事堂が建てられたのは、明治31年(1898)のこと。当時、和歌山県庁は和歌山城西側の汀丁にあって、庁舎は洋風意匠の木造建築でした。

これに対して、和歌山城東側の一番丁に建てられた県議会議事堂は、木造二階建ての和風建築。下見板を張り、壁は漆喰塗で屋根は瓦葺きでした。もっとも柱のない広いスペースを確保するために、屋根は洋式のトラス組が採用されており、和洋折衷の構造であったといえます。

「市内有数の壮麗なる白木の建物」と評された議事堂は、正面より本館、議場、控室に分かれ、本館には接見室、議長室、議員休憩室などが設けられました。

議場は正面に床の間が構えられ、土間廊下が取り巻き、二階には傍聴席があります。また控室には高等官控所や参事会員室、県庁員控所などが設けられました。なお議場は、公会堂としても用いられることになります。

昭和13年(1938)に議場を備えた現県庁舎が完成すると、議事堂は昭和16年(1941)に市内美園町、さらに昭和37年(1962)には根来寺に移築され、一乗閣として使用されました。また二度の移築で各所に改変が加えられていきます。

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復原された旧県議会議事堂の見所 >

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