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黒田官兵衛・有岡城幽閉の中で到達した思いとは

2014年04月23日 公開
2022年07月25日 更新

童門冬二(作家)

何を重んじ、何のために働くのか

 湿った牢内で1年を過ごし、官兵衛は足の関節が曲がらなくなり、皮膚病で頭髪が抜け落ちた。劣悪な環境の土牢で1人壁に向かいながら、官兵衛は何を考えていたのだろうか。

 まずは、これまで播磨で織田方のために尽力してきたことが水泡に帰し、「これで俺も評価もされず、虫けらのように捨てられるかもしれない」という思いがよぎったことだろう。幽囚の身の不甲斐なさ、もどかしさに七転八倒する苦しみも味わったのかもしれない。

 しかし私は、官兵衛はこの時、己について、原点に立ち戻って考える時間を得たのではないかと考える。すなわち、自分は一体何をやってきたのか。これから何をしたいのか。

 黒田家が播磨の土豪・小寺氏に見出され、重用されたのは、財力が足場であった。そして小寺家家老となった官兵衛が次に目指したのは、織田信長の天下布武事業に参画し、播磨の土豪から天下に名を馳せることであった。

 官兵衛が信長に注目したのは、織田の勢いだけではなかったろう。諸国の大名が地域のせめぎあいに終始する中、信長は天下というものを見据えていた。尾張には古来「あゆち思想」がある。あゆちとはあえの風、すなわち「海から吹いてくる幸福の風」で、一種のユートピア思想だ。信長が周の岐山から岐阜と命名し、一説に「平安楽土」から安土と命名した背景には、その思想を見出すことができる。官兵衛は信長の理念に気づき、天下布武事業に感動を覚えたのではなかったか。

 土牢の中で官兵衛は、「天下の事業に参画したい」という思いを再確認したであろう。そして「俺はこんなところでへたばる男ではない。牢から出た時にたとえ誰も自分を顧みなくても、もう一度天下のために働いてみせる。秀吉を支える役回りでもよい。力を存分に振るう舞台は、必ずあるはずだ」と自らを奮い立たせていたのではないだろうか。官兵衛にはクールにすべてを割り切るだけでなく、夢を抱き、熱を帯びる部分があった。負の可能性を切り捨て、自分の信じるところに突き進む、強靭で楽天的な「自力本願」の人である。

 一方、牢の外に咲く藤の花の姿に、慰められる話も伝わる。心に去来するさまざまな思いに苦しむ官兵衛を、花の生命力が勇気づけてくれたこともあったのだろう。さらに儚くもあり、力強くもある生命というものに、深く思いが至った瞬間であったかもしれない。官兵衛は牢を出た後、色々と便宜を図ってくれた門番の加藤又左衛門に謝して、その子供を引き取り、黒田一成と名乗らせて、息子・長政の弟のようにして育てている。恩義を重んじ、人情深い人柄が感じられよう。官兵衛は、根は純粋で温かい人なのだろうと思う。

 天正7年(1579)10月、有岡城落城とともに官兵衛は救出された。骨と皮だけに痩せさらばえ、全身に皮膚病が広がり、膝は曲がったままで立ち上がれなかったという。その姿に接した秀吉は絶句し、意志を貫いたことを賞賛してねぎらった。一方、官兵衛も秀吉と亡き竹中半兵衛の命がけの計らいで、息子の松寿丸が無事であることを知る。「この世には裏切る人間がいる一方、信じられる人間もいる」。官兵衛は強い感動とともにそう確信し、また「自分は人を裏切ることはすまい」という思いを新たにしたのではなかったか。

 そして官兵衛は、秀吉の参謀役に復帰する。かつての主君・小寺政職は逐電しており、黒田家当主として織田の天下事業への再参画であった。が、以前のように鼻の先に知力をひけらかす官兵衛ではなかった。羽柴秀吉の頭の中にあるものを探り取り、的確に先手を打つ、見事な軍師ぶりであった。それが最も天下事業を前進させ、なおかつ自分の力を活かす道でもあることに気づいたのである。

 同時に無用の殺し合いを避け、以前にもまして、交渉や調略で敵対する者を降していった。これらは1年に及ぶ幽閉生活がもたらした、官兵衛の大きな変化であったろう。

 言語に尽くせぬ苦境を、希望を失わず、不撓不屈の心で切り抜けた時、官兵衛は確実に一回り大きくなっていた。軍師・黒田官兵衛の手腕は、ここから冴え始めるのである。

著者紹介

童門冬二(どうもん・ふゆじ)

作家

1927年東京生まれ。東京都職員時代から小説の執筆を始め、’60年に『暗い川が手を叩く』(大和出版)で芥川賞候補。東京都企画調整局長、政策室長等を経て、’79年に退職。以後、執筆活動に専念し、歴史小説を中心に多くの話題作を著す。近江商人関連の著作に、『近江商人魂』『小説中江藤樹』(以上、学陽書房)、『小説蒲生氏郷』(集英社文庫)、『近江商人のビジネス哲学』(サンライズ出版)などがある。

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