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織田信長は、なぜ石山本願寺を攻め続けたのか?

2014年02月17日 公開
2023年01月11日 更新

竹村公太郎(元国土交通省河川局長/リバーフロント研究所研究参与)

日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】』より

蓮如の真蹟碑

蓮如上人真蹟の碑「南無阿弥陀仏」
(大阪城公園/大阪市中央区)
 

地形で解く日本史の謎

石山本願寺の謎

 信長は1570年~80年の11年間、各地の一向宗と血みどろの戦いを繰り広げた。この一向宗の本山が大坂の石山にあったので石山本願寺戦争と呼ばれた。この戦いには2つの謎がある。

 なぜ、信長はあれほど石山本願寺にこだわったのか? なぜ、あれほど戦いが長期に泥沼化したか? である。

 信長の石山本願寺へのこだわりは尋常ではない。この理由に関しても諸説ある。すなわち、信長は一向宗の財力に目をつけた。信長は自分が神になりたかった。一向宗は各地で大名を支えていた……などなどの説である。

 しかし、信長はあやふやな因習、伝統、宗教などを嫌い、当時としては珍しいほど合理的な思考をする人間であった。石山本願寺へのこだわりがこのようなものであったら、この戦いはあまりにも不合理である。

 石山本願寺は独自の領土を所有してはいなかった。領土を持たない宗派を根絶やしにしても領土はいっさい増えない。これは一向宗討伐を命ぜられた武将にとってはたまらない。戦国の世で一番大切だった領土という戦利品がなければ、戦いは単なる殺生になってしまう。

 いくら絶対君主の信長といえども、不毛な殺生を武将たちに続行させられるわけがない。武将たちも信長についていくわけがない。そこには何か重大な理由が存在していたはずである。

 戦いが11年も長引いたのも不思議だ。相手は所詮、僧侶と老若男女の民衆の集団である。戦いの専門集団・信長軍団の敵ではない。「進むは極楽浄土、退くは無間地獄」を唱える一向宗信徒が捨て身だったとはいえ、信長軍は敗退の連続であった。

 なぜ、信長はこの戦いにこだわったのか? なぜ、この戦いがこれほど長引いたのか?

 その答えは地形に隠されている。

 

絶対の上町台地

 信長は一向宗にこだわったのではない。「石山」という土地にこだわったのだ。

 石山とは大阪市中央区の上町台地を指す。縄文時代この上町台地は大阪湾の海に突出した半島であった。<図参照(WEBサイト「なにわまナビガイド:上町台地とは/およそ6,000年前の河内湾(C)なにわ活性化実行委員会」より引用)>

 戦国時代の海面はすでに下がっていたが、満潮には海流が淀川・大和川の奥まで逆流し、雨が降れば一面水浸しの湿地帯であった。浪速(なにわ・なみはや)、難波は名前のとおり海の波にさらされていて、大坂の河内もまさに「河の内」であった。当時の大坂、摂津地方で唯一この石山の上町台地だけが乾いた高台であった。

 さらに、当時の物流を担っていたのは船運であった。その船の行き交う要所がこの上町台地であった。この上町台地は淀川の河口に位置していて、京都の朝廷を牽制できた。さらにここは貿易港・堺への通過点であり、西国大名を討伐する最前線基地でもあった。

 「石山」つまり上町台地は戦国の世を平定するため絶対的に重要な地であった。

 信長はこの土地を何が何でも手に入れたかった。信長の武将たちもこの上町台地の重要性を十分知っていたからこそ、11年間も辛い戦いを継続できたのだ。

 戦国の天下を制するのが上町台地であり、信長の石山本願寺戦争はこの地を得るためのものであった。

 このことを痛いほど知っていた西国大名がいた。安芸の毛利輝元であった。毛利は村上水軍と手を結び一向宗の側に立った。

 村上水軍は中世、戦国時代を通して瀬戸内海を制覇した一族である。室町時代には幕府から海上警固の特権を得ていたほどである。村上水軍は中国東海岸、台湾、南アジアまで進出し、海外の情報と技術と物資の輸入を握っていた。島の多い瀬戸内海で神出鬼没する不敗の軍団であり、動く関所でもあり、海賊でもあった。

 この村上水軍を味方につけた毛利水軍は大坂湾の制海権を握り、上町台地の石山本願寺へ物資を補給した。

 そのため石山本願寺への攻撃ルートで残されていたのは、上町台地の南端の天王寺囗だけであった。本願寺側はその狭い天王寺口を固めるだけでよく、僧侶や民衆の力でも容易に防御できた。信長がこの本願寺を攻めあぐね、戦いが11年も長引いたのはこのためであった。

 石山本願寺戦争の謎は全て上町台地の地形にあった。

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