16世紀から19世紀にかけて行われた「奴隷貿易」。悪名高きこのシステムは「人種差別が原因だ」と認識している人は多いでしょう。しかし現代の歴史学では、差別は“後付けの正当化”だったと考えられています。
なぜ西洋人はアフリカ人を奴隷にしたのでしょうか。そこには、新大陸の「気候」、サトウキビという「作物」、そして旧大陸に持ち込まれた「病原菌」という"地理的な必要性"がありました。悪意だけでは説明できない、残酷なパズルを解き明かします。
※本稿は、宇山卓栄著『「地理で考える」は武器になる』(秀和システム新社)より一部抜粋・編集したものです。
歴史には、目を背けたくなるような残酷な事実が存在します。その最たるものが、16世紀から19世紀にかけて行われた「大西洋奴隷貿易」です。推計1200万人以上ものアフリカの人々が、無理やり船に乗せられ、大西洋を渡り、南北アメリカ大陸で労働力として酷使されました。
なぜ、西洋人(白人)は、アフリカ人(黒人)を奴隷にしたのでしょうか?
「白人が黒人を差別していたからだ」
これは正しいですが、順序が逆です。現代の歴史学や経済学の視点では「差別があったから奴隷にした」のではなく「奴隷にする地理的・経済的な必要性があったから、後付けで差別の論理を作って正当化した」という側面が強いと考えられています。
では、その「地理的な必要性」とは何だったのか。それは、新大陸(アメリカ)の「気候」と、そこで栽培しようとした「作物」、そして「病気」のミスマッチでした。
コロンブスがアメリカ大陸に到達した後、ヨーロッパ人はそこで莫大な富を生む「錬金術」を見つけました。それが、サトウキビや綿花を栽培する「プランテーション農業」です。特に砂糖は、当時のヨーロッパで宝石のように高値で取引されていました。
しかし、サトウキビの栽培には、決定的な地理的条件が必要でした。それは「熱帯・亜熱帯の気候」であることです。アメリカ大陸の南部やカリブ海の島々は、この条件を満たしていましたが、そこは同時に、人間にとって過酷な環境でもありました。灼熱の太陽の下、ジャングルを切り開き、重労働を行う。これには膨大な人手が必要です。
当初、ヨーロッパ人は、現地の「先住民(インディオ)」を労働力として使おうとしました。しかし、彼らは次々と死んでしまいました。虐待も原因の一つですが、最大の死因は「病原菌」でした。ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘やはしかに対して、免疫を持たない先住民はひとたまりもなく、人口の90%以上が死滅してしまったのです。
労働力が足りなくなったヨーロッパ人は、次に自分たちの同胞である「白人の契約労働者」を送り込みました。しかし、彼らもまた、次々と倒れました。今度の敵は、熱帯特有の病気である「マラリア」や「黄熱病」でした。温帯の涼しい気候で暮らしていたヨーロッパ人には、熱帯の病気に対する抵抗力が全くなかったのです。
ここで、経営者たちは判断を迫られます。
「先住民は旧大陸の病気ですぐ死ぬ。白人は新大陸の病気ですぐ死ぬ。では、誰がこの灼熱の農場で生き残れるのか?」
その「地理的な答え」を持っていたのが、アフリカ人でした。
(1)旧大陸の病気への耐性:アフリカ大陸はユーラシア大陸と陸続きで交流があったため、牛や馬などの家畜由来の病気(天然痘など)に対する免疫をすでに持っていた。
(2)熱帯の病気への耐性:熱帯気候のアフリカで何千年も暮らしてきたため、遺伝的にマラリアへの耐性を持つ人が多かった。
(3)熱帯農業のスキル:すでに熱帯農業のノウハウを持っていた。
つまり、ヨーロッパ人にとってのアフリカ人は、差別対象である以前に「熱帯のプランテーションという特殊な地理的環境で、生存し稼働できる唯一の労働リソース」として「発見」されてしまったのです。
こうして、あの悪名高い「三角貿易」のシステムが完成しました。
(1)ヨーロッパからアフリカへ、武器や雑貨を運ぶ。
(2)アフリカからアメリカへ、奴隷(労働力)を運ぶ。
(3)アメリカからヨーロッパへ、砂糖や綿花(製品)を運ぶ。
この巨大な物流システムは、大西洋を取り囲む「気候の違い」と「病気への耐性の違い」を利用した、極めて合理的なビジネスモデルでした。
「黒人は人間ではない、商品だ」という悲惨な人種差別イデオロギーは、この経済活動を正当化し、心を痛めずに遂行するために、後から強化され、定着していったのです。
もし、アメリカ大陸の気候がヨーロッパと同じ冷涼な気候で、サトウキビが育たない土地だったら、これほど大規模な奴隷貿易は生じていなかったでしょう(実際、アメリカ合衆国北部では奴隷制はあまり発達しませんでした)。
あるいは、もし先住民が病気に強ければ、わざわざ大西洋を越えてアフリカから人を運ぶコストをかける必要はなかったはずです。
私たちが知る歴史の悲劇は、人間の悪意だけで起きるわけではありません。「その土地で何が育つか(気候)」と「誰がそこで生きられるか(免疫)」という、動かせない地理的条件のパズルが、不幸な形で噛み合ってしまった結果なのです。
更新:07月22日 00:05