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100年の時を経て磨かれた若狭の名水が育んだ、涼やかに透き通る「小浜の葛まんじゅう」

2025年06月26日 公開

兼田由紀夫(フリー編集者)

瓜割の滝
写真:若狭瓜割(うりわり)公園(若狭町)の「瓜割の滝」。古くは「水の森」と呼ばれた聖地を、湧き出た清水が流れ落ちる

あのまちでしか出会えない、あの逸品。そこには、知られざる物語があるはず!「歴史・文化の宝庫」である関西で、日本の歴史と文化を体感できるルート「歴史街道」をめぐり、その魅力を探求するシリーズ「歴史街道まちめぐり わがまち逸品」。

福井県南部、嶺南地域とも呼ばれる若狭。かつての若狭国であり、飛鳥・奈良時代から豊富な海産物を朝廷に献上した御食国(みけつくに)として知られる。特に国府が置かれた小浜と周辺は、日本海側各地と海路で結ばれ、奈良・京都へと陸路でつながる要衝として古くから発展を見せた地域である。名刹や古社も多く、「海のある奈良」ともいわれる。

近世には湾岸に小浜城が置かれて、その城下は北前船の拠点として栄えた。また、京都に海産物を届けた「鯖(さば)街道」の起点でもある。その活発な経済活動とともに城下の文化も開化して、例年9月に開催される若狭路最大の祭礼、八幡神社「放生祭(ほうぜまつり)」の京風の雅やかで多彩な出し物に往時の片鱗を見ることができる。

そうしたなか、和菓子の文化も早くから定着したとみられ、江戸時代から続く老舗も伝えられる。その小浜の和菓子のなかで、夏の風物詩となっているのが「葛(くず)まんじゅう」である。透き通った葛餅にこし餡(あん)を包んだ、素朴ながらも奥深いこの逸品には、「名水の地」としての若狭・小浜の地域文化が深くかかわっていた。

【(筆者)兼田由紀夫(フリー編集者・ライター)】
昭和31年(1956)、兵庫県尼崎市生まれ。大阪市在住。歴史街道推進協議会の一般会員組織「歴史街道倶楽部」の季刊会報誌『歴史の旅人』に、編集者・ライターとして平成9年(1997)より携わる。著書に『歴史街道ウォーキング1』『同2』(ともにウェッジ刊)。

【(編者)歴史街道推進協議会】
「歴史を楽しむルート」として、日本の文化と歴史を体感し実感する旅筋「歴史街道」をつくり、内外に発信していくための団体として1991年に発足。

 

古代から伝えられる、清浄なる「香水の国」

雲城水
写真:夏に冷たく、冬には温かい、小浜市の湧水「雲城水(うんじょうすい)」。わきには水の守護神をまつる水天宮がある

毎年3月前半に催される奈良東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)。近畿に春を告げる行事「お水取り」として広く知られている。この通称は、3月12日深夜に二月堂前にある「若狭井(わかさい)」で、本尊の観音菩薩に供えるお香水を汲(く)み上げることに由来し、その若狭井については次のような縁起が伝承されている。

最初に修二会が営まれたとき、全国の13,700余の神々が集まる前で、僧がその名を次々に読み上げて祈念した。ところが、若狭の遠敷(おにゅう)明神だけが遅れて来てこれを聞き逃した。悔やんだ明神は、二月堂のもとに香水を奉じると約束。すると、黒と白の鵜(う)が岩を割って飛び出し、そこから泉が湧き出した。これが若狭井であるという。

この香水は若狭から地下を通って届くともいわれ、小浜市の若狭神宮寺では毎年3月2日に、境内の閼伽井(あかい)から汲み上げた水を、遠敷川の「鵜の瀬」で流す「お水送り」の神事が執り行なわれている。

 

人々の暮らしとともにある、天然の湧水

葛まんじゅう
写真:伊勢屋店内の水槽で、雲城水で作られて冷やされる葛まんじゅう。水温は年間を通して14度から16度くらい。熱々のできたてを冷蔵庫に入れると早く劣化するので、この地下水の温度がちょうどよいという

若狭神宮寺から東へ6キロメートル足らず、若狭町天徳寺にも水の名所がある。若狭瓜割名水公園にある「瓜割の滝」である。滝と呼ぶには、少し小さいかもしれないが、清らかで豊かな湧き水が、苔(こけ)むした岩の間をほとばしる。一年を通して水温が11度台と一定で、瓜を入れると冷たさから割れてしまったといい、この名称がある。

この滝の水は環境省の「名水百選」にも選定され、少し下った公園駐車場には水汲み場があって、ひっきりなしにボトルやポリタンクを持った人が訪れる。ボトリングされた商品も販売されているという。一般投票による名水百選の「おいしさが素晴らしい名水部門」で全国2位にもなっていて、多くの人に愛飲されていることの反映でもあるのだろう。

瓜割の滝と公園は、天徳寺の境内地でもあって、この寺院はその縁起によれば、泰澄(たいちょう)大師が馬頭観音像を刻んで山内に安置したことを起源とし、平安時代の天徳年間(957-961)に村上天皇の宣下のもと、堂宇が築かれたとされる。一説に、水源の神を守護する寺ともいい、近郷の人々が雨乞いの祈願をした場所でもある。瓜割の滝は古くから、地域の暮らしを支えてきた水の源なのであった。

小浜城下にもまた、古くから生活とともにある湧水がある。こちらは「平成の名水百選」に名を載せる「雲城水」である。

「雲浜城(うんぴんじょう)」の別名がある小浜城跡のお膝元、南川河口の船だまりに面した雲城公園内の自噴井戸で、地下30メートルの砂礫(されき)層から湧き出る地下水である。こんこんと湧き続ける水のもとに、地元を始めとした人たちが次々と汲みにやってくる。茶やコーヒーを淹(い)れるほか、料理にも使うのだという。

実は、小浜旧城下町では雲城水のほかにも、その近くにある「津島名水」など、そこかしこで淡水が湧き、水道水もこの伏流水を水源としている。港の海底からも湧いているといい、海辺でありながら、淡水が噴出する珍しい地域なのである。ちなみに湧く場所によって、微妙に水質が異なるという。

小浜の伏流水の源をたどると、市中心部から約16キロメートル離れた遠敷川上流、滋賀県境の上根来(かみねごり)水源の森に行きつくといい、ここから地下に浸透した水が、100年ほどかけて小浜城下に届くと考えられている。時間が研ぎ澄ました水ともいえよう。

 

原材料に表記されない最高の食材

熊川宿の街並み
写真:宿場町の風景をそのままに残す熊川宿(若狭町)の町並み。通り沿いに勢いよく流れる前川も「平成の水百選」の一つである

雲城水が湧く場所のすぐ近くに、御菓子処、有限会社伊勢屋は店舗を構える。創業は天保元年(1830)、200年近い歴史を伝える和菓子店である。その6代目の主人、上田浩人さんに、人気商品「葛まんじゅう」と名水のかかわりについて教えを乞うた。

葛まんじゅうの販売は4月中旬から9月終わりぐらいまで。季節ものの和菓子である。伊勢屋では2代目の時代、明治初期から手掛けてきたという。それが地域の名産品と知られるようになったのは、雲城水の存在が大きく関係している。

「伊勢屋があるあたりは一番町といって、明治維新までは武士の家があったところですが、30年ほど前までは商店街でした。和菓子屋も3、4軒あり、魚屋や八百屋など、いろいろなお店がありました。それが夏になると、和菓子屋以外の魚屋や八百屋でも、葛まんじゅうを作って販売していたのです。葛まんじゅうを作り、また冷やして販売するのに最適な水が、町家ごとにあった井戸から豊富に湧き出ていたことがその理由です。そうして地域の名物として自然に定着していきました」

伊勢屋では、雲城水と同じ地下からの湧水を、今も和菓子づくりに利用しているが、雑味がないこの水は、小豆などの素材の風味を生かす最善の素材であるという。特に繊細な味わいの葛とこし餡、そして水のみを材料とする葛まんじゅうにとって欠かせないものである。

「本物の葛粉は、葛餅にすると短時間で白く濁り、固く劣化していきます。そうしたことが理由で、一般の量販店などで販売されている葛まんじゅうは、日持ちがするように葛以外の材料で作られているのです。うちでは本葛で作っていますが、朝に作ったものを夕方に食べるとあまりおいしくない。それで一度に200個ずつくらい、一日に何度にもわけて補充するように製造しています。お盆の最盛期には一日に7000個から8000個作るのですが、そのときでもそうして作っています。喫茶スペースも設けているので、ここで作りたてを食べていただくのが一番のいい食べ方になりますね」

すっきりとした甘さのこし餡が、やさしい葛の風味に包まれて、つるりと喉を通り過ぎる。いくつも食べてしまいそうな葛まんじゅうである。

伊勢屋では現在、吉野葛と熊川葛の両方を材料に使っているという。熊川葛とは、鯖街道の宿場町で知られる熊川で作られる特産の葛粉のこと。「いまでは作っているところはありませんが、かつては小浜でも、冬の農閑期の副業としてどこの農家でも葛粉を作っていたのです。このことも、葛まんじゅうが小浜で作られた理由の一つです」と、上田さんは教えてくれる。葛もまた、さらして葛粉にするために、大量の清水を必要とする素材であった。

「私は一時期、修業で地元から外に出ていて気付くことになりましたが、ずっと小浜にいたら、この地の湧き水をあたり前のものと思って、貴重な水とは思わなかったかもしれません。いま、多くの人から小浜の水が評価していただけていることはうれしいですね」。

上田さんたち地元の有志が中心になって、今年7月に地域の祭事「水まつり」を復活させようと活動を進めている。

「近年も雲城水でまつられている水天宮の神事はしてきたのですが、商店街だったころは露天の夜店も出て、にぎやかな祭りを開催していました。そのにぎわいを復活したいと思っているのです。ただ、復活といっても、地域の水への啓発とあわせて、その水を使っているお店、うちは和菓子ですが、蕎麦屋さんやイタリアンレストランなどからも出店してもらって、地域の人、観光の方に楽しんでもらえるものにできれば」と、上田さんは抱負を語る。

ともすれば忘れがちではあるが、水は人の暮らしになくてはならない基本であって、食を始めとした歴史文化もまた、その上に築かれてきた。名水とともに育まれてきた若狭・小浜は、そのことを改めて語り教えてくれる地なのである。

 

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