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和歌の第一人者として天皇からも絶大な信頼を得た武将「細川藤孝」

2025年04月15日 公開

橋場日月(作家)

丹後田辺城
丹後田辺城二層櫓(京都府舞鶴市)関ケ原の戦いが勃発すると、 隠居していた細川藤孝は田辺城に入城し、西軍を迎え撃った。

戦場での活躍こそが華とされ、武功を挙げた人物が注目されることが多い戦国武将。しかし、合戦での功績は少なくとも、文化面で大きな足跡を残した武将たちもいました。時代が違えば、より評価されていたかもしれない人物も...。本稿では、天皇、公家からも絶大な信頼を得た武将・細川藤孝を紹介します。

 

「お前が5人10人居てもわしの名誉は汚れぬ」

細川藤孝は幽斎の雅号で知られる。天文3年(1534)、室町幕府申次衆・三淵晴員の次男として生まれ、名門・細川家の元常(和泉上半国守護家、御供衆で、藤孝の伯父)、または晴広(淡路守護家)の養子となったという。

足利13代将軍・義輝に仕えたが永禄8年(1565)、義輝が三好党に殺されると、その弟・義昭を守って越前の朝倉氏などを頼り、最終的には織田信長に協力を求める。その甲斐あって永禄11年(1568)、信長が義昭を担いで上洛すると、藤孝も将軍となった義昭と信長に両属の形で大和、京、山城、摂津、河内と各地で戦った。

ところがその後、義昭と信長は対立してしまう。元亀4年(1573)に信長が義昭追放のため軍勢を率いて上洛すると、藤孝は信長を迎えに出、反義昭の旗幟を鮮明にする。以後、彼は信長の家臣として働くこととなった。

その後も豊臣秀吉、徳川家康と次々に仕える主君を変えることとなる藤孝だが、当時それを「頼りない卑怯者」「信用できない男」と非難する者は無かった。それはなぜか。彼がスーパー超人だったからだ。

といってもSFの話ではない。剣術は塚原卜伝、弓術は波々伯部貞弘と吉田雪荷、武家故実(儀式や作法など)にも精通して、徳川家康に細川家伝来の『武家故実大双紙』を献上。書道を再興して「筆道の守護神」と崇められ、刀剣鑑定は本阿弥家から学んだ三好下野守政生(一般に政康)に師事し、包丁術も毛利輝元や六条門跡(西本願寺宗主、准如)を感心させるほどの腕。

太鼓も観世流の名人・似我与左衛門の指導で撥の切れを会得し、太鼓が得意な伊達政宗をして「自分は藤孝殿には及ばぬ」と嘆かせた。そのうえ猛った牛を抑え、横柄な他家の門番の手を握りしめて骨も杖も砕いてしまったというほどの怪力の持ち主だ。言わばパーフェクトマン。

そして、何よりも彼には和歌・連歌という切り札があった。22歳ですでに連歌の資料に接し、25歳で連歌会の点者(採点者)を務めるなど、緊張と戦いの連続の中でも、和歌・連歌の活動にいそしむ藤孝は、その方面での第一人者と見なされて、武家仲間だけではなく天皇・公家からも絶大な信頼を寄せられていたのだ。これでは周囲が「藤孝は世渡りの上手い卑劣な人間」などと蔑むような隙を見つけられるはずもない。

だが、藤孝は一方で柔軟な姿勢をも併せ持っていた。

同じ午年生まれの信長に対しては、「あなたは名馬、私は駄馬」と謙遜し、秀吉が「奥山に紅葉を分けて鳴く蛍」と和歌を詠むと、蛍が鳴くわけが無いのに秀吉に恥をかかさせぬよう、「古歌にも蛍が鳴くというものがある」と適当な歌をでっち上げ、秀吉死後の慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の直前には徳川家康に味方する藤孝の田辺城を敵の大軍が包囲すると、「和歌の秘伝『古今伝授』の継承者・藤孝が死ねば、伝統が絶えてしまう」と開城を命じる朝廷に渋々応じる形で無事に生き延びた。

言わば和歌を利用したわけだが、彼にはそれ以上に、和歌・連歌に貢献しているという強烈な自信があったのだろう。息子の忠興に和歌を勧めた際、「自分が未熟な歌を詠んでしまうと、父上の歌道の名誉を汚すことになりませぬか」と言われて、「お前が5人10人居てもわしの名誉は汚れぬ」と一笑に付している。

 

著者紹介

橋場日月(はしば・あきら)

作家

昭和37年(1962)、 大阪府生まれ。日本の戦国時代を中心に 歴史研究、執筆を行なう。著書に『地形で読み解く 「真田三代」最強の秘密』『新説 桶狭間合戦─知られざる 織田・今川七〇年戦争の実相』『明智光秀 残虐と 謀略─一級史料で読み解く』などがある。

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