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新宿駅一帯に広がっていた「角筈」 昭和に戦国時代からある地名が消えた経緯

2024年11月22日 公開

今尾恵介(地図研究家)

新宿駅

地名はさまざまな状況で命名され、それがいろいろな都合で変化し、追加され、統廃合され、あるいは復活し、またあるものは消えていきます――そう語る地図研究家の今尾恵介氏は、著書の『地名の魔力』で様々な事例を取り上げている。地名の変化は日本最大のターミナル・新宿駅一帯でも起きており、戦国時代以来つづいた地名も、実は昭和の後半になってから消滅しているのだった。

※本稿は、今尾恵介著『地名の魔力』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです

 

戦国時代以来の由緒ある地名

1:10,000地形図「四谷」大正10・1921年修正
↑新宿駅をはさんで東西一体に広がっていた「角筈」の地名。一体を開発した渡辺与兵衛の名も地名に。(1:10,000地形図「四谷」大正10・1921年修正)

日本最大の乗降客数を誇る新宿駅。

その南口に面した6車線の甲州街道を西へ数分歩けば、「角筈(つのはず)二丁目」というバス停(東京都交通局・京王バス・小田急バス)にたどり着く。

都庁にほど近い大都会のまん中にもかかわらず、バスはたまにしか来ないので存在感は薄いが、この停留所は旧地名を保存している点で貴重な存在だ。

現在、ここは新宿区西新宿一丁目(通りの南側は渋谷区代々木二丁目)という町名で、角筈の名が完全に消えたのは40年以上も前の1978(昭和53)年だから、都内に生まれ育ったのに読めない人がいても無理はない。

西口どころか、角筈は現在の新宿駅の東側も含んでいた。盛り場として全国的に名の知れた歌舞伎町も、戦後の1948(昭和23)年に、角筈と東大久保の各一部を割いて誕生したものである。もっとも歌舞伎座を作る構想に従って町名を決めたのはよいが、結局は計画倒れに終わった。

角筈という地名は、戦国時代には文書に見られる由緒あるもので、その珍しい地名の由来はいくつかの説がある。当地を開発した渡辺与兵衛(よへえ)の髪の結い方がツノのある独特なもので、「角髪(つのがみ)」などと呼ばれるうちに、弓矢の道具「角筈」の字に転じた、などと解説されてきた。

1:10,000地形図「四谷」大正10・1921年修正↑「新宿追分」は現新宿三丁目交差点のあたり(1:10,000地形図「四谷」大正10・1921年修正)

 

新宿にはなかった新宿駅

地理院地図 2024年8月26日DL↑1978(昭和53)年までに角筈の地名は消えた(地理院地図 2024年8月26日DL)

新宿駅は1932(昭和7)年9月30日までは東京市域の外側に接する郡部で、東京市内に編入されて淀橋区(現新宿区の一部)となる以前の所在地は、東京府豊多摩郡淀橋町大字角筈字渡辺土手際(どてぎわ)と称した。

くだんの与兵衛さんが屋敷に巡らせた土手際の土地に、毎日100万人単位の人がごった返す場所が誕生しようとは、ご本人も想像さえしなかっただろう。東京市内となってからは大字角筈から「角筈一丁目」に変わっている。

1885(明治18)年に新宿停車場が開業してちょうど30年遅れた1915(大正4)に笹塚方面から延伸してきた京王線(京王電気軌道)は、現在の新宿駅西口ではなく、甲州街道の路面を走って新宿三丁目の交差点まで乗り入れていた。

最初の停留所名は「新宿追分(おいわけ)」と称したが、後に「四谷新宿」と改めている。「省線(国鉄)の新宿駅は郡部だけど、わが京王のターミナルは東京市内(四谷区)だからね」というアピールだったのかもしれない。

国鉄新宿駅の住所が角筈一丁目から現在の新宿三丁目に変わったのは1973(昭和48)年の元日であった。その後、角筈の地名は現在の歌舞伎町エリアにごく一部が残っていたが、1978(昭和53)年には完全に消えている。

 

著者紹介

今尾恵介(いまお・けいすけ)

地図研究家

1959年横浜市出身。明治大学文学部ドイツ文学専攻中退。一般財団法人日本地図センター客員研究員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査などを務める。著書に『地図マニア 空想の旅』(集英社インターナショナル/第2回斎藤茂太賞受賞)、『今尾恵介責任編集 地図と鉄道』(洋泉社/第43回交通図書賞受賞)、『地名崩壊』(角川新書)、『地図帳の深読み』(帝国書院)、監修に『日本200年地図』(河出書房新社/第13回日本地図学会学会賞作品・出版賞受賞)など多数。

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