歴史街道 » 地域の魅力 » 戦国武将の必需品だった...南高梅が変えた「日本の梅干し文化」

戦国武将の必需品だった...南高梅が変えた「日本の梅干し文化」

2024年05月24日 公開

兼田由紀夫(フリー編集者・ライター)

和歌山城
写真:徳川御三家の城、和歌山城。この地の歴史文化の象徴である

あのまちでしか出会えない、あの逸品。そこには、知られざる物語があるはず!「歴史・文化の宝庫」である関西で、日本の歴史と文化を体感できるルート「歴史街道」をめぐり、その魅力を探求するシリーズ「歴史街道まちめぐり わがまち逸品」。

今回は、和歌山県の「梅干し」。日本人なら誰もが味わいを知るこの古来の食品は、素材の梅の実とともに、和歌山県が一大産地である。しかし、近年の食に対する志向の移り変わりを受けて、そのあり様にも大きな変化が生まれているという。梅干しの歴史と現状について和歌山市の名店に尋ねた。

【兼田由紀夫(フリー編集者・ライター)】
昭和31年(1956)、兵庫県尼崎市生まれ。大阪市在住。歴史街道推進協議会の一般会員組織「歴史街道倶楽部」の季刊会報誌『歴史の旅人』に、編集者・ライターとして平成9年(1997)より携わる。著書に『歴史街道ウォーキング1』『同2』(ともにウェッジ刊)。

【(編者)歴史街道推進協議会】
「歴史を楽しむルート」として、日本の文化と歴史を体験し実感する旅筋「歴史街道」をつくり、内外に発信していくための団体として1991年に発足。

 

日本文化のなかで息づいてきた梅

南高梅の果実
写真:製造中の梅干し(左)と、梅干しに使われる和歌山の代表的品種「南高梅(なんこううめ)」の果実〔写真提供:株式会社勝僖梅(しょうきばい)〕

天平2年(730)正月13日、九州大宰府に長官として赴任していた大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅にて宴会が催され、このときに集った人々の32首の和歌が『万葉集』に収められている。

その序にある「初春令月(初春のよき月にして)気淑風和(気よく風やわらぐ)」の言葉から採られたのが、現在の元号「令和」である。このときの歌の主題こそ、庭に咲く梅花であった。

「わが園(その)に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来るかも」(大伴旅人/『万葉集』巻5・822)。

『万葉集』には、ほかにも梅を取り上げた和歌が多くあり、可憐な花と馥郁(ふくいく)とした香りが、いにしえより愛されてきたことがわかる。そして、その果実もまた、古くから利用されてきた。ただし、その利用のされ方には、時代ごとに変遷があった。

 

古代より薬効で注目されてきた梅の実

紅葉渓庭園写真:和歌山城西の丸の名勝、青紅葉の「紅葉渓(もみじだに)庭園」を望む。右側の堀をまたぐ「御橋廊下(おはしろうか)」は藩主が暮らした二の丸と西の丸をつなぐ

梅の木は中国中部が原産とされ、日本には弥生時代に渡来したとも、遣唐使が持ち込んだともいい、もともと国内にも自生していたとする説もあって定かではない。

注目されるのは、2000年ほど前に成立したとみられる中国最古の薬学書『神農本草経』に、梅の実の記載があることである。「気を下し、発熱による胸の苦しさを除く」などの薬効が述べられている。

青梅を黒く燻製した「烏梅(うばい)」は、風邪や胃腸の薬として現在も用いられる漢方薬だが、飛鳥時代以降、日本に伝来したといい、梅の実の薬効は日本でも早くから知られていたとみられる。

京都東山の名刹、六波羅蜜寺では正月三が日、若水でいれた煎茶に、結び昆布と小粒梅干しを入れた「皇服茶(おうぶくちゃ)」が振る舞われる。

平安時代中期の天暦5年(951)、空也上人が寺の起源となった道場をこの地に開いた当時、京に疫病が蔓延。上人は観音像を乗せた車を引きながら念仏を唱えて歩き、この茶を病人に与えて多くの命を救ったと伝えられる。同時代の帝、村上天皇もこの梅干し茶を服して病から回復。以来、元日に服すことを吉例としたといい、皇服茶の名と行事はこれにちなむ。

伝承とはいえ、古くは薬に用いられた茶とともに、梅干しが同じように扱われたことの証左であろう。永観2年(984)に朝廷に献上された、丹波康頼が撰した日本現存最古の医学書『医心方』にも梅干しが取り上げられ、「梅は三毒を断つ」として広い効用が説かれている。

鎌倉時代以降、武士の世へと時代が転換すると、梅干しは滋養がある食品として武家の食台に載るようになる。また、室町時代、醤油が普及する以前には、酒に梅干しを入れて煮詰めた「煎り酒」が考案されて刺身などに添えられた。調味料としての梅干しの活用の先駆といえよう。

そして、戦国時代に入ると、梅干しは保存が利き、野戦にも携帯できる兵糧として、武将にとって必需のものとなった。

 

「南高梅」で花開く、和歌山の梅の食文化

勝僖梅本店
写真:勝僖梅本店。季節の限定品など味わいが異なる9種の梅干しのほか、本店だけで販売する梅干しを使ったオリジナルの焼き菓子なども扱う

戦乱の時代が終わった江戸時代には、梅干しは庶民の食の支えとなる。紫蘇を使った赤い梅干しもこの時代から製造された。こうした需要を踏まえて、本格的な生産が紀州和歌山で始まることになるのである。

元和5年(1619)、徳川家康の10男・徳川頼宣が紀伊和歌山城に入ると、その附家老であった安藤直次は、同国の田辺に所領を与えられる。しかし、山地が多く、田畑を広げにくいこの地域での領地経営は難しく、民衆の暮らしも楽なものではなかった。

殖産を図った直次は、南部(みなべ・現在のみなべ町)の山の斜面や荒れ地に梅の木を植えさせる。やがて梅林は広がって多くの実を産するようになり、江戸時代中頃には樽詰めにして江戸に出荷されて好評を博す。江戸時代後期刊行の『紀伊国名所図会』では、梅林の景観が紹介されるほどとなり、梅の名産地としての基礎がここに築かれたのである。

近代に入ると、和歌山県での梅栽培はさらに急激に増加する。日清・日露戦争などでの軍用食の需要が高まったからである。そして、増産とともに進められたのが、優れた品種の選定であった。

江戸時代から和歌山で栽培されてきた梅は「藪(やぶ)梅」と呼ばれ、果実の直径が2、3センチ程度の小さなものであった。しかし、明治時代に入って上南部村(現在のみなべ町)の高田貞楠(さだぐす)氏が自身の梅林にひときわ大きな果実をつける木を発見。これを母樹として増殖が進められた。

時が過ぎて戦後の昭和25年(1950)、「梅優良母樹選定会」が発足。5年にわたる収集と研究の結果、高田氏の梅の木が最優良品種に認定される。この調査研究に尽力したのが、地元の南部高校教諭の竹中勝太郎(かつたろう)氏と生徒たちであったことから、高田氏の名とあわせてこの梅を「南高梅」と名付けたのであった。

現在の和歌山での梅栽培の主役となった南高梅の特徴は、なにより実が大きいこと。さらに皮が薄く種が小さいので、果肉が厚くて柔らかい。この特徴を製品に生かして人気を集める、梅干し製造販売の会社「勝僖梅」を訪ねて、梅干しの現状について話を聞いた。

「以前は2Lサイズ(直径3.7~4.1センチ未満)の実をもとにした梅干しがもっとも市場に出回っていて、一番おいしいといわれてきました。そういうなかで、当社では4Lサイズ(直径4.5~4.9センチ未満)の果実を使って、お客様から、大きな南高梅の梅干しこそ、ジューシーでおいしいと評価していただくことを目標にしてきました。

梅干しの加工は実が大きいほど、潰れやすくて難しいのですが、慎重に取り組めば可能です。むしろ難しいのは、それをどうすれば、相応の価格で購入していただけるのか。それが当初からの課題だったと聞いています」と、梅干しに託された思いを教えてくれたのは、営業部の西川智由紀さん。製造面での苦心も語る。

「昔ながらの梅干しの場合、塩分は20パーセントから25パーセントぐらい。その塩分のままで4Lサイズの梅干しを食べるとすると、塩分が多過ぎです。塩分を控えることで、安心して食べていただけるように努めてきました。とはいえ、塩分を控えるだけでは保存の面で劣ってきます。そこで窒素充填などの独自の工夫も取り入れて、賞味期限を延ばしてきたところです」。

実は創業から38年目という勝僖梅。梅干しの製造を始めて何代目という事業所も少なくない和歌山では、梅干し製造の企業としては新進である。そのなかで家庭用というより、贈答用の高級品を追求してきたという。蜂蜜を使うなどした、主力商品である甘い梅干しで需要の掘り起こしを図るとともに、梅干しや梅の実を用いた加工品にも事業を拡げる。

「2年前からブランデー梅酒、昨年の秋からは梅干しを一粒まるごと入れたアイスクリームの販売を始めました。梅酒のほうは、香港の代理店を通じて海外でも販売を進める予定です。こういうところから和歌山の梅への関心を拡げ、梅干しの需要につなげていければとも考えています」。

平成27年(2015)、400年の歴史を持つ和歌山の梅栽培は「みなべ・田辺の梅システム」として、国連食糧農業機関によって世界農業遺産に認定されている。そのシステムを未来に生かすための、さらなるアイデアを生む土壌もまた、ここ和歌山に育っているのである。

 

歴史街道 購入

2024年7月号

歴史街道 2024年7月号

発売日:2024年06月06日
価格(税込):840円

関連記事

編集部のおすすめ

伊賀忍者も下緒として重用した? 忍びの里に受け継がれる「組紐」文化

兼田由紀夫(フリー編集者)

竪穴住居の屋根に使われた? 古代から琵琶湖周辺で重宝される「ヨシ」とは

兼田由紀夫(フリー編集者・ライター)

石臼で豆を挽き...神戸に復刻した「日本最古のコーヒー」の味

兼田由紀夫(フリー編集者)
×