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なぜ高野山は焼き討ちを逃れた? 秀吉を絶句させた“僧侶が説いた天下人の在りよう”

2022年11月17日 公開

片山洋一(作家)

 

秀吉の心を動かした巧みな話術

陽がかたむきはじめていたが、応其は構うことなく、秀吉の陣所へ急いだ。到着したころは夜更けであったが、同じ近江出身で交流のあった石田三成を介して、秀吉との面会にこぎつけた。

「無条件受諾、一山他事なき由」

会うなり、応其がそう言ったために、秀吉は面を喰らった。

「ずいぶんと神妙なことだ。ならば条件を申そう。まずは武具を捨てるべし。謀反人をかくまわず、大師の遺戒の如く、学問に励み、勤行をもっぱらにすべし」

さらに秀吉は拡大した所領を手放すように申し付けた。高野山の俗物どもにとって許容できない条件であったが、応其は意に介さず、二つ返事で承諾した。

「僧は徒手空拳、贅を産む所領など不要。されど、すべて差し出すわけには参らぬ」

「木食上人も食い扶持がほしいか」

「さにあらず。大師の御供奉を考えてのことだ。大師の御身に何かあっては御遺戒も何もあったものではない」

「弘法大師の食い扶持をよこせ、か」

応其の風変りな交渉を秀吉は面白がった。だが紀州攻めで活躍した武将たちへの恩賞を思うと、高野山の権勢を支える広大な所領をそのままにするわけにはいかなかった。

「ご懸念は無用。大師ご創建のころを記した『御朱印縁起』がござる。ここに記された所領を安堵していただければ、それで充分」

「なるほどのう。だが、良いのか。学侶や行人どもから恨まれるぞ」

「密教とは贅を忌み、殺生を禁じ、自然と一体になって天下静謐を祈るもの。高野の俗物どもは骨髄を知ろうとせずに、皮肉をむさぼらんとする破戒者。災い転じて福となす、あるべき僧の姿に戻るよき機会なり」

つまり応其は、驕り高ぶる僧侶どもの堕落を、秀吉という外圧で荒療治しようと目論んでいたのであった。

「この秀吉を道具にするとは面白き食わせ者よ。その食わせ者の上人にお聞きしたい。高野のお山は天下静謐を祈ると申されたが、秀吉もまたそれを強く望む。その志を遂げるために何か知恵を授けてはもらえぬか」

「賢人は千賢に一愚あり、愚者は千愚に一賢ありと申す。吾の言葉を愚者のものとして聞かれよ。天下人とは世から戦をのぞく者のこと。武具を持つと人は欲にかられて他者を襲い、襲われし者は守らんがために武具を手にする。ゆえに争いが争いを生み、長き戦乱の世が続いてきた。天下人は人々から武器を取り上げ、勝手に戦をする者を打擲しなければならない。静謐の極意は、一天下の惣無事にて候」

この瞬間、秀吉の脳裏に天下静謐の方策が思い浮かんだ。すべての者の戦を禁ずる惣無事令と、高野山に要求したように武士以外の者から武具を奪う刀狩令であった。

──この坊主を、高野山に留めおくはもったいない。

人材好きの秀吉は大名にしてやるから仕えよと申し出たが、応其は一笑に付した。応其の志はあくまで悟りを開くことにあり、そのために、あるべき高野山を切り盛りすることだけが、彼の望みであった。

「ならば、この後は上人が高野のお山を采配されよ。高野の応其ではなく、応其の高野だと心得るべし」

応其は高野山を自分のものだと考えたくはなかったが、己の手で空海の高野山を再興できることは願ってもないことであった。

この後、応其は高野山を積極的に改革し、九州討伐の和睦交渉など、秀吉の天下統一を側面から助けていった。

 

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