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50歳にして「北海道開拓」に挑んだ平野弥十郎...江戸育ちの父子が人生を捧げた偉業

2022年11月07日 公開

梶よう子(作家)

 

息子・徳松は、クラーク博士の直弟子に

明治8年、札幌に校舎が建つと、開拓使仮学校の生徒たちは海路、北海道に向かった。奇しくも、父の弥十郎が開拓使を辞め、帰京するのと入れ違いに、息子は父と同じ大地を踏んだのである。

このとき、徳松は、伊藤一隆と名をあらためている。伊藤は、武家であった弥十郎の先祖の姓だ。開拓使仮学校は、札幌学校と改称し、その後、明治9年(1876)、札幌農学校として開校式が挙行された。北海道大学の前身である。

アメリカから教頭として招かれたのが、かの「青年よ、大志を抱け」で有名な、さっぽろ羊ヶ丘展望台に立つ像の前で誰もが同じポーズをとってしまう、あのウィリアム・S・クラークだ。札幌農学校に合格したのは24名。そのうち勉強を続けられたのは16名。そのひとりであった一隆は、クラーク博士の直弟子として、一歩を踏み出すことになる。

江戸育ちの東京人であるからか、一隆は、細面で上品な紳士然とした雰囲気とは違った、大胆で気短な一面を持っていたようである。そのエピソード。

明治9年に札幌を訪れた宣教師より受洗した一隆だが、そこに至る経緯がふるっている。まだ東京にいた頃、築地にあったミッション・スクールのクリスマス会に参加したのが、一隆とキリスト教との出会いだったが、その後も教会を訪れるなどして、札幌にも聖書を持参した。

教えを乞いたいと宣教師のもとを訪れていることが、学校の耳に入り、厳しく叱責された。すでに禁教は解かれていたが、黒田清隆が大のキリスト教嫌い。ゆえに学校ではいまだに禁止されていたのだ。

どうにもそれが納得できない一隆は、信仰心があるわけではないが、学校がそういう行動に出るなら、逆に洗礼を受けてやる、という妙な反骨精神を起こし、宣教師に「そんな不遜な理由ではいけない」とたしなめられるも一歩も引かない。何がなんでも受洗してやると迫るので、おののいた宣教師がこんな若者を野放しにしてはならぬ、と折れたという。

結局、クラークを立会人に、晴れてクリスチャンとなった。18歳の青年の暴走のような話だが、この烈しさは歳をとっても変わることがなかった。きっかけはともあれ、一隆は以後、敬虔な信者として、弥十郎と弟も受洗させ、禁酒会を発足しているが、汽車の中で酔漢が他の乗客に迷惑をかけていると、江戸っ子らしいべらんめえ調でやり込めて、摘み出したという。

明治13年(1880)、一隆は、22歳で札幌農学校第一期生として卒業した。一隆の勧めで一家で渡道し、卒業式にも参列した弥十郎は、晴れがましい思いで息子の姿を眺めたことだろう。

 

水産業の礎を築いた“江戸生まれの父子”

卒業後、一隆は弥十郎と同じく開拓使に出仕する。そして、北海道の水産業を振興するために北水協会を立ち上げ、会頭に就任し、北海道庁ができると、そちらに移り、初代の水産課長に任ぜられている。

一隆は、鮭鱒の天然の孵化場の設置、密漁や乱獲の防止、水産資源の維持と漁民の生活を守るために、産地や販売など10項目にわたる水産調査の実施を提唱した。これは、一隆が声を上げてから、5年後に全国で順次開始されたが、北海道での調査では一隆が中心となって執り行なわれている。

鮭を孵化させるためには、親となる鮭の捕獲が必要である。川を遡上する鮭の捕獲に現在も使われている捕魚車(インディアン水車)は、一隆が明治19年(1886)にアメリカに渡った折、西海岸のコロンビア川で目にして日本に紹介したのが始まりと言われている。千歳川を調査し、鮭の孵化場建設を指示したのも一隆である。

一方、北海道でクリスチャンになった弥十郎も一隆とともに禁酒会の会員であり、教会にも通っていたが、悠々自適に余生を過ごしていたわけではなく、再び開拓使や工部省に雇用され、道路の修繕、新道の開削をしているのだから恐れ入る。

また、弥十郎と「高輪築堤」に携わった安達久治郎(喜幸)は、工部省、開拓使と勤め、開拓使本庁や札幌のシンボル、時計台などの設計者として活躍したことを加えておきたい。

弥十郎は明治22年(1889)、67歳でこの世を去った。一隆は、昭和4年(1929)、71歳で没した。 

明治維新を成し遂げた偉人たちは、今も多く語り継がれている。しかし、欧米諸国を手本に国の近代化を目指した者だけが、今日の日本を築き上げたのではない。

平野弥十郎、伊藤一隆父子は、道なき大地に道を通し、水産業の礎を築き、開拓途上であった北海道で多大なる功績を遺した。新政府を支え、惜しみなく力を尽くした人々がいることを我々は忘れてはならない。

【参考資料】
『平野弥十郎幕末・維新日記』(桑原真人・田中彰編著、北海道大学図書刊行会、2000年)、『クラーク先生とその弟子たち』(大島正健著、大島正満・大島智夫補訂、教文館、1993年)、『伊藤一隆とつながる人々』(一隆会著、1987年)ほか

【梶よう子(作家)】
東京都生まれ。平成17年(2005)、「い草の花」で九州さが大衆文学賞、平成20年(2008)、『一朝の夢』で松本清張賞を受賞。著書に、「御薬園同心 水上草介」シリーズ、『噂を売る男 藤岡屋由蔵』(PHP研究所)、『ヨイ豊』(講談社)、『広重ぶるう』(新潮社)、『空を駆ける』(集英社)などがある。この9月に、平野弥十郎(弥市)を主人公に据えた小説『我、鉄路を拓かん』(PHP研究所)を上梓。

 

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