――では、ここで読者が選んだ北条氏のイチオシをみていきましょう。アンケートの結果はご覧のようになっています。
谷津 えーと、つまり、遺児の北条時行はランク入りしたけれど、高時パパはダメだったということですね。
――まあ、時行は松井優征さんの漫画『逃げ上手の若君』(集英社)で、いま注目の人ではありますから。
秋山 きわめて順当な、いい感じの順位ではないかなって、私は思いました。
――ちなみに、読者の声をアンケートの中から拾ってみますと、北条時政については大河の影響もあって、「ドラマの時政の姿にほっとする」という意見もありますが、反対に「政子の父ということ以外には何もない時政があれだけの地位に昇りつめたのだから、権謀術数は後白河院どころではなく、当代一だったんじゃないか」というご意見もいただきました。
北条政子については、「豊臣政権の淀殿が政子ほどの人物であったら、ひょっとしたら徳川幕府はなかったんじゃないか」という、なかなか興味深いご意見がありました。逆に政子がいなかったら、鎌倉幕府はどうなっていたんだろうと、思ったりもしますね。
他には、読者の方から「源実朝暗殺に黒幕はいたのでしょうか」という質問をいただきました。実朝の暗殺については北条義時、三浦義村あたりが黒幕として疑われたりしているようですが、せっかくですのでこの事件についてお2人から大胆な推理を披露していただければと思います。いかがでしょうか。
谷津 たぶん黒幕はいなかったということでいいと思います。
秋山 あれ? あっさり(笑)
谷津 これはもう「公暁単独犯行説」でよいでしょう。よく、北条義時が途中でお腹が痛くなって太刀持ち役を交代してもらって難を逃れたということから、「事件が起こることを事前に知っていたのではないか」と、いかにも怪しいと言われたりします。ただこれ、義時は実朝からちょっと疎まれていて、「おまえ、ここまででいいから。来なくていいから!」と言われたけれど、それでは得宗の祖として体裁が悪いからと、『吾妻鏡』が体調不良に書き換えた、というふうにに考えることもできるわけですよ。
もちろん小説でしたら、いくらでもおもしろい話ができると思いますよ。でも、史実ベースで考えるなら、そこまで穿って陰謀論みたいなものを持ち出すのはどうかなと思います。公暁の単独犯行、黒幕はなし。つまらない結論ですみません。
――いえいえ、ありがとうございました。それともう1つ、読者からの質問です。「もし源頼朝がもう少し長生きしていたら、鎌倉幕府はどうなっていたんでしょうか」。これは私も気になるところですが、秋山先生、いかがですか?
秋山 いや、それはもう、全然違った結果になったと思いますね。頼朝の死は早すぎました。嫡男の頼家は若い。御家人たちとの関係性がうまく築けていないのに鎌倉殿になってしまった。地固めする時間がほとんどなかったことは頼家の不運だったと思います。もし頼朝が長生きして頼家が活躍できる環境を整えてあげて、しっかり後継者としての教育もしていたら、あんなことにはならなかったし、源家将軍も長く続いていたんじゃないかとは思いますね。
谷津 あと、承久の乱は起こらなかったかもしれないですね。承久の乱は、鎌倉と朝廷がまがりなりにもつくり上げた関係性を、朝廷の側から崩した事件ですよね。カリスマである頼朝が長生きしていたら、そうなる前に、お互いが納得、協調できる強固な関係性をつくり上げてたような気がします。ですからその場合は、北条義時はずっと下っ端のまま、北条家そのものも小さな御家人で終わったのではないかと。頼朝が健在だったら政子だって尼将軍なんて大きな存在にはならなかったはずです。
秋山 「頼朝公の御恩は山よりも高く海よりも深い」という、承久の乱で御家人たちを奮い立たせたあの名演説もなくなりますからね。
谷津 そうそう。だから最後の得宗・北条高時も余生をつつがなく過ごし、闘犬を楽しむ好々爺になっていたのではないでしょうか。
――なるほど、そこにもっていくわけですね(笑)。今回、源氏、御家人、北条氏についてお二人の話をお聞きしていたら、時代を生きた人物一人ひとりが持っているエネルギーの大きさを、あらためて感じました。そして作家の方々がどのような視点で歴史と人間を見ているのかに、少し触れられた気がします。そんな視点をもって、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も楽しんでみたいと思います。
秋山先生、谷津先生、本日はありがとうございました。
(終了)
更新:11月22日 00:05