NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」もいよいよ後半がスタート。鎌倉殿、御家人たちがおりなす権力闘争から、ますます目が離せません。そこで、作家の秋山香乃先生、谷津矢車先生に、この時代と人物たちの魅力について語り合っていただきました。今回は「北条氏編」です。
※2022年7月13日 談。本稿はPHP研究所「歴史街道YouTubeライブ」の配信内容を一部編集して掲載しております。
――では、今回は北条氏のイチオシ人物ということで、いってみたいと思います。秋山先生、いかがでしょうか。
秋山 北条政子、もうそれしかないです。私、政子については大好きなエピソードがあるんです。
頼朝が石橋山で大負けして、真鶴から房総半島に脱出して再起を図っていたとき、政子や妹たちは伊豆山神社に匿われていたんですね。で、夫がどうなったのか、死んだのか、生きているのか、わからない状態で、すごいドキドキしながら、毎日、暮らしていたんです。
そんなとき、これ、ちょっと感動したんですが、頼朝は自分が小船に乗る前、同行していた土肥実平の長男の遠平に「悪いけど政子のところまで行ってくれない?」「自分が無事だって、ひと言、伝えてほしい」と頼むんです。
そこで遠平が頼朝の無事を政子に伝えに行くんですが、それを聞いた政子は「やったー! 生きてる~!」と大喜びしたんです。ただ、その「生きている」というのは小船に乗る前ですよね。その後はどうなったか、遠平もわからないじゃないですか。だから政子はすぐに不安になる。
この気持ち、わかりますよね。私も自分の夫がクルマで遠方まで高速道路を走っているとき、事故に遭わずに無事に帰ってきますようにって、ドキドキしながら待っている。だから、途中で連絡を入れてくれるとすごく安心する。でも、帰ってくるまではまだ不安だったりする。「あ~、政子も同じ気持ちなんだ」と、すごい親しみを感じて、それから政子のことが大好きになったんです。
政子って、女性にはすごくやさしい人なんです。嫉妬深いとか悪く言われているけれど、生涯、女性のことはずっと助けてあげているんですよ。義仲の妹のことも救ってあげているし、静御前が頼朝に怒られそうになったときも庇ってあげていますしね。
――亀の前事件というのもありましたが……
秋山 あ~、亀、亀の前の事件ですね。頼朝が浮気した女の人、みなさん、知っているとは思うんですけれど、亀の前が匿われていた伏見広綱の屋敷を壊したという事件ですね。あれのせいで、政子はすごい嫉妬深いとか、怖いとかいう印象があるかもしれないですけれど、別に館を壊しただけで、亀自身を傷つけてはいないんです。その館だって、亀の家じゃなくて伏見広綱の家なんですから、亀はそれほど被害を受けていないんです。
あれはもう、頼朝がいけないんです! 妊娠中の浮気でしょ? 時期が悪すぎますよ。浮気だけでも許せないのに妊娠中の浮気なんて、もう一生、恨む事案です。あれはね、やったら絶対ダメ。許されません。
この事件で伏見広綱も鎌倉を追い出されます。だから伏見広綱もかわいそうという人もいるようですが、でも、この人、鎌倉に来てたった半年ですからね。しかも、伏見広綱は「伏見冠者(かんじゃ/かじゃ)」と呼ばれていることからもわかる通り、年齢も若い。ひょっとしたら10代の可能性もある。だから人生、いくらでもやり直しがきくんです。それに、配流になったと資料に書いてあるからさぞかし酷い目にあったような印象がありますが、配流先は故郷ですからね。自分の家に帰っただけでしょ。じつはそんなに酷い目に遭ったわけじゃないんです。
そもそも伏見広綱って、半年ぐらいの間に鎌倉で何をしていたかっていうと、頼朝の女の世話しかしていないんですよ! 亀さんと、あと、もう1人の浮気相手。じっさいには浮気にまでは至らなかったけれど、頼朝は自分のお兄さんの後家さんに手を出そうとして、せっせとラブレターを送るんです。その使者になったのが広綱です。たぶん右筆をやっていたからラブレターの代筆をしたんじゃないかと思いますけど、こんなことばかりやっているから、それは叩き出しますよ。政子にしてみれば、こんなやつもうペッと!!!
――……秋山先生、ありがとうございます。異論は認めない!というところですね。北条政子、とても魅力的です。
秋山 政子は、すごい怖いイメージがありますけど、当たり前のことをやっただけなんだと私は思っております。はい、以上。
――谷津先生は、政子をどのようにみていますか?
谷津 頼朝という人を完全無欠の人として描こうとすればするほど、政子は悪役になりますよね。完全無欠である頼朝に対して、たかが浮気を怒る女というのは度量が狭いとかね。そして、さいごには「悪女」と言われてしまう。ただ、頼朝を冷静にながめてみると、「あの人はもちろん優れた人物だけど、ダメなところもけっこうある。だから政子は悪くない」となるんですよね。そこに現代の価値観もはいってくれば、従来の「政子=悪女」というイメージは、すっかり変わってくるという感じではないでしょうか。
――続いて、谷津先生から北条氏のイチオシを発表いただけますか?
谷津 私は北条高時です。
――はい???
谷津 「いや、おまえ、今回は鎌倉初期の話をするんじゃないの?」って言われるかもしれないですが(笑)、北条高時は鎌倉幕府終焉期の執権で、「最後の得宗」と言われた人です。
得宗というのは、学者さんによっていろいろなことが言われますけれど、基本的には北条義時嫡流の当主のことです。で、北条高時は最後の得宗といわれる人です。『太平記』では暴君、暗君として描かれて、鎌倉幕府を潰した張本人みたいに言われています。
ただし、歴史書で暴君とか暗君と描かれている人をみたときには、みなさん、注意しなければなりません。というのも、暴君という存在は、次の政権を正当化するための存在ともいえます。ほんとうにその人が暴君であったのかというのは、かなり怪しいのです。
ちょっと生臭い話になってしまいますが、たとえば暴君とされる人に武烈天皇がいますね。武烈天皇のあとは継体天皇が継いでいるのですが、本来、継体天皇は皇位を継承する立場ではなかった。ただ、武烈天皇が後嗣を残さずに崩御したので、周囲に推戴されて即位したのです。継体天皇は武烈天皇との血縁はかなり離れていて、傍系で即位した最初の天皇ともいえます。そんなことから、史書では武烈天皇が悪しざまに描かれているというような研究もあったりします。そんなわけで、暴君とか暗君と描かれている人物は注意が必要なんです。あるいは2代目鎌倉殿の源頼家も、そうかもしれないですね。
そういう視点で見ると、北条高時もまた暴君と描かれているけれど、実際は不明としか言いようがない。高時の悪行とされている闘犬にしても、あれは執権を退いてからやっているみたいですし。執権のときは一応、貴族扱いらしいので殺生は禁止されていて、執権を退いて出家してからやっているんです。まあ、「お坊さんが殺生をやっていいのかよ!」っていう話はあるんですけど、それはOKだったみたいですね。
高時の実像としては、非常に身体が弱くて、暴君と言うほど強烈なキャラクターの人物ではなさそうなんです。むしろ病弱、意志薄弱な人で、それがゆえにリーダーシップがとれないまま、時代の流れに消えていった人物という見方のほうが適切な気がします。
あとですね、今回の鎌倉初期に関するお話で、なぜ敢えて北条高時を出したのかというと、実は義時たちがやったことのツケを回収したのが高時だと、僕は見ているのです。
だって、そうじゃないですか。結局、北条氏は望んだか望んでなかったかはともかくとして、御家人たちの粛清につぐ粛清を重ねていって均衡を探し、ようやく安定をもたらしたわけです。でもそれは、北条氏だっておかしなことばかりしていたら殺されても仕方がないという「前振り」を与えてしまったとも言えるわけです。北条が徳を失って有名無実になったなら、それは退場してもらうしかない。義時だってそうしたじゃないか、と。
高時が足利尊氏に裏切られ、新田義貞に攻められて自害に追い詰められた人生を考えると、これ、得宗初代の義時が蒔いた種が、高時で花開いたように感じるんです。悪い意味でね。非常につじつまの合う話です。
その高時の哀れを思うと、僕はどうしてもこの人物を書きたいとなるんです。ということで、実は高時が主役ではないですけれど、近々、この辺の時代を描きます。
秋山 えっ、すご~い。
――いやぁ、おもしろい解釈でしたね。まさかそういうお話になるとは。高時のイチオシ、とてもおもしろかったです。秋山先生は高時をどうご覧になりますか?
秋山 北条高時についてはサラッとしか知らないし、深掘りしたことがないんですけれど、波乱万丈な人生を本人は頑張って生きていたと思うんです。だから作家としては興味深い人物であることは確かですね。
更新:11月22日 00:05