秋山 ただ、平家が負けて源氏は政権を取ったけれど、でも、続かなかったじゃないですか。結局は、北条が政権を取ります。北条は平氏ですよね。「平氏じゃん!」とは言っておきたい(笑)。
谷津 うん。あの……。
秋山 それを強く、今日は言いたいです。
谷津 それに対する反論については、「そのあと、足利が取ったから許してください」ということしか言いようがないので……
秋山 言われた(笑)。言われるかなと思ってたんですけど。
谷津 でも、おもしろいですよね。「源平交代説」なんて話にもなりますし。
秋山 そうなんですよ。でも、最終的にはやっぱり、源氏のガツガツ感に平氏は勝てないというか(笑)。
谷津 いや、そこで、秋山先生、負けちゃダメですよ。
秋山 ほんとだ(笑)。はい、そうですね。でも、最後の徳川氏は源氏なのよね。
編集部 北条氏についてもお話をお聞きしたいのですが。
秋山 やっぱり北条は、政治力がすごかったなと思いますね。たしかに頼朝はすごかったんですけど、そもそも平氏に比べれば源氏は政治力が弱い印象があります。じゃあ、なぜ頼朝はそんなに政治力を発揮できたのか。
平治の乱のとき、清盛は熊野詣に出かけて都を留守にした際に、源義朝に挙兵され、人生最大ともいえるピンチを迎えました。このとき、清盛は九州に逃げて、そこから挽回するとの選択肢もあったのです。でも清盛は、それを選択せずに都へ戻ってくる。いったんは敵方に従うような素振りをみせておきながら、裏でものすごい政治的な駆け引きをして、義朝に軟禁されていた二条天皇を脱出させてしまう。そして清盛は官軍になり、義朝は朝敵になる。こういう政治力、根回しが、平家はじつにうまい。
それに対して源氏は力で押せばいい、みたいなところがあります。頼朝は義朝のことを父として尊敬していたと思うんですが、政治力一つでお父さんが清盛に負けたことは、13歳の頼朝少年の心に残ったと思うのです。なので、頼朝の政治力は先天的なものではなくて、そのときの状況が彼を政治家にしたんですよ。生まれながらのものではない。頼朝はがんばったんです。では、頼朝は誰に政治力を学んだのかというと、それは北条に学んだんじゃないかと。
北条は教えた側の先生なので、そりゃあ、生徒の側は負けちゃいますよ。北条の政治力はものすごくて、最後、源氏は北条に追いやられちゃったということじゃないでしょうか。
谷津 ぐうの音も出ない(笑)。確かに源氏、特に、頼朝の後、二代・頼家と三代・実朝の政治力は……。
編集部 谷津先生、なにかご反論は?
谷津 平家って、すごく良くできたシステムなんです。そして、やっぱり華のある人たちなので、じつはあんまり批判するところがない。そこで僕は、清盛の個人攻撃をしようと思います(笑)。『平治物語』における清盛のファッションについて、僕は突っ込んでいこうかなと思っております。
『平治物語』で平清盛は戦場に立ちますが、そのときの恰好がですね、こんな感じです。黒糸綴の鎧、黒漆の太刀、黒馬に黒鞍、と。つまり、ほぼ黒づくめなんです。真っ黒。
秋山 かっこいいです!
谷津 かっこいいでしょ。ちなみに源義朝は、赤地の錦の直垂に、黒糸縅の鎧を着て、黒馬に黒鞍を乗せています。要は微妙に赤が混じっちゃっているんです。
秋山 あぁ~。
谷津 平治の乱って偶発的な戦いですよね。にもかかわらず、清盛は黒づくめで決めてきちゃうのです。それに対して義朝は、微妙にコーディネートを失敗している感じがする(笑)。
清盛はオートクチュールのスーツを着て、戦場にさっそうと現われたわけですよ。そういうところに、清盛の貴族趣味が出ているんじゃないか。『平治物語』でも、作者は清盛の姿を書くときに、「全身黒づくめでいいですなぁ」という書き方をしているのです。ただ、同じ物語作家として思うのは、たしかにかっこいいけれど、なにか作者の反感が臭ってきてならないんです。敵役であるところの義朝は、微妙に外した感じで登場してくる。たぶんそこには作者が思うところがあって、そう描写しているわけです。僕はそこに、清盛の貴族趣味に対して「お前、何、戦場で着飾っているんだよ」という作者の視点を感じるんです。つまり、「いけすかねえ野郎だ」と。
秋山 お武家さんなのに、そういうふうに見た目を気にするところが嫌ということですね、なるほど。
谷津 やっぱりコンツェルンの会長感があります。そう言えば、黒糸縅の鎧についてなんですけど、NHK大河ドラマの『平清盛』ってありましたよね。あちらで実は再現されていまして、平治の乱のときに、本当に松ケン(松山ケンイチ)さんが真っ黒い鎧を着ているので、もしご興味ある方はぜひご覧ください。
秋山 でも、清盛の貴族趣味ということに関しては、少し反論させていただきますね。
谷津 はい。
秋山 それは、しかたないのです。なぜかというと、清盛は既存の朝廷というシステムの中には入って、ステップアップしていった人です。だから貴族にならないと、権力が握れなかったのです。
まずは、院に接近する。自分の財力を使って、寺院を建立する。当時は上皇や天皇が望んでいる寺院を建ててあげると、位が上がっていく。そして公卿になる。清盛は武家ですけれど、公卿なんです。
で、そうなれば、今度は権力を握るために、一人でも多くの一族を公卿にする。それが終わると、今度は天皇家に娘を中宮にすべく送り込む。しかも、男の子が産まれないとダメ。幸いにして男の子が生まれたら天皇にして、自分は外祖父となる。そこまでして、初めて権力を手にすることができるんです。だから、清盛はそれをやったんです。これは、武家が権力を持つに至る第一段階です。
第二段階が、自分たちの政権をつくるという、頼朝がやったことです。よく清盛は藤原氏のやったことを真似しただけ、頼朝は独自に武家政権をつくりあげたから偉いんだと言う人がいますが、違うんです。清盛だって第一段階を踏んだあとは第二段階として、そうする予定だったはずなんです。ただ、その前に病気で死んじゃうんです。インフルエンザだとかいろいろ言われていますけれども、これからというときに寿命が尽きてしまう。清盛は不運だったのです。
清盛が独自の武家政権を立てようとした証拠としては、福原遷都とか厳島行幸とか、荘園に地頭だって設置しています。そうしたことはまるで、頼朝さんの専売特許みたいに言われていますけれども、清盛だってやりました!
ということで、頼朝にしても、もし清盛がいなければ、当然、武士の地位が上がっていないのですから、第一段階から攻める必要性があったわけです。頼朝は第二段階からスタートすれば良かった、というだけの話なのです。地盤は平家がつくってくれたのです。だから私は、源氏は平家に「ありがとう」と言うべきだと思っていますよ!(笑)。
谷津 源氏は漁夫の利を得ましたよ、という(笑)。
編集部 源平それぞれについてお話を伺ってきましたが、2022年のNHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」です。最後に、この時代の魅力について、お話しいただければと思います。
秋山 鎌倉時代の面白さは、舞台を見るような面白さだと思うんです。映画というよりは舞台系。すべての行動が大袈裟で(笑)。それは悪い意味で言っているわけではなくて、よく号泣するなど、登場してくる人物が舞台で演技をしているような楽しさがありますね。
それと、すごく家族愛とか、兄弟愛とかが強い時代でもあります。戦国時代になると、もうちょっとドライになってくるんですが、この時代はすごい愛情溢れていて、心情的には戦国時代より現代に近い感情を持っているので、馴染みやすいんじゃないかと思います。
谷津 平清盛が白河院のご落胤ではないかという説がありますね。歴史学的に正しいか、実証できるかみたいな話は別として、僕はこの話、あっても不思議ではないなという感じがしているんです。この時代って、現代から遠すぎて、今となってはもうわからないことがたくさんあります。だからこそ、ロマンが広がるし、作家としては妄想のしがいがあります。皆さんにとっても想像の余地がたくさんあるので、そこを楽しんでもらえたらな、と思います。
編集部 本日はありがとうございました。
更新:11月25日 00:05