2021年12月08日 公開
2023年01月01日 更新
あまたいる戦国武将のなかから、各都道府県で一人ずつを選び、短編小説に――。
くじ引きの結果、第29回は、どこの県の誰なのか。
執筆者は、「くらまし屋稼業」シリーズが人気で、『童の神』が直木賞にノミネート、『八本目の槍』も「週刊朝日」の歴史・時代小説ベスト10で第1位を獲得、『じんかん』が山田風太郎賞を受賞、「羽州ぼろ鳶組」シリーズが第6回吉川英治文庫賞を受賞するなど、いま最も勢いのある若手歴史小説家・今村翔吾先生です。
この動画は、第29回のくじ引きを撮影したものです。
福岡県は、かつての筑前国と筑後国、そして豊前国の一部にあたります。
戦国時代の福岡県出身の武将というと、立花宗茂を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
永禄10年(1567)、大友義鎮(宗麟)の重臣・高橋紹運の嫡男として生まれた宗茂は、大友家の宿老の一人、立花道雪から養子に欲しいと懇願され、15歳で立花家に入ることになりました。
天正14年(1586)、九州制覇を目論む島津氏に攻め入られ、大友宗麟は時の天下人である豊臣秀吉に救援を要請。豊臣軍が到着するまで、立花家を継いでいた宗茂は島津軍に抗戦し続けました。
この際の武功を豊臣秀吉から称賛された宗茂は、大友家から独立した大名として取り立てられます。
天正18年(1590)には、秀吉の下で小田原城攻めにも参陣。文禄元年(1592)の文禄の役、慶長2年(1597)の慶長の役では朝鮮に渡り、その力を発揮しました。
しかし慶長3年(1598)に秀吉が亡くなると、徳川家康が実権を握り始め、慶長5年(1600)、関ケ原の戦いが勃発します。
関ケ原の戦いでは西軍に味方し、大いに活躍した宗茂でしたが、徳川家康の東軍が勝利。改易に処され、柳川城を退去することになりました。
改易後の宗茂を描いた連載第29回は、12月6日(月)発売の「歴史街道」1月号に掲載です。お楽しみに!
更新:11月21日 00:05