――こうした史実に基づいた物語を執筆する際、クリエイティビティの発揮のしどころは、どこにあると考えていますか。
【冲方】歴史を紐解いていく上で、文芸家にしかできないことがひとつだけあります。それは「なぜ」を描くことです。「何を」「いつ」「誰が」「どうした」というのは資料を漁ればわかりますが、当人がその時の心情を書き残していないかぎりは、なぜそれをやったのかは誰にもわかりません。
その部分は想像で補うしかなく、僕ら作家はできるだけ正解に近いものを見つけ出そうと躍起になっていて、クリエイティビティはまさにその部分にあると考えています。
――なるほど。藤原彰子に対する「なぜ」の最適解を求め、得た答えが『月と日の后』にある、と。
【冲方】そうですね。たとえば明智光秀が本能寺の変を起こしたことは誰でも知っていますが、彼がなぜそうしたのかは誰も知りません。だからこそ、今もずっと謎解き合戦のようなことが行なわれていて、それこそが歴史の面白さなのだと思います。
ただし、我々の常識が変わると「なぜ」の答えも変わります。仮に「その立場の人物としては本来あり得ない行動だった」と現代人が解釈したとしても、当時はそれが当たり前だった可能性もあるでしょう。
何が現代的で何が常識はずれなのかは、その時々で変わり続けるものなので、もし十年後に藤原彰子を描こうと思ったら、また違った物語になるかもしれません。
――そして、藤原彰子は87歳で長い生涯の幕を閉じることになりますが、冲方さんが描き出した感動的なラストも、読者の皆さんにはぜひ楽しみにしていただきたいところですね。
【冲方】彰子は藤原家の中で誰よりも頑健な人物だったと思いますが、それでも徐々に身も心も衰え、弱りながら最後まで戦います。
そして彰子は、きっとこういう心境で最期を迎えたはずだと、僕の中ではわりと早い段階からラストについて構想していて、そこへ向けて書き上げた作品です。その意味でも、このラストシーンは書いていて楽しかったですね。
教科書などでは当然、後世に残る完成された彰子の姿が記されていますが、今回の作品では彼女の成長と戦いの軌跡を、一代記として表現することに最初から重きを置いていました。この物語が、多くの方に藤原彰子という人物を知ってもらえるきっかけになれば嬉しいです。
更新:11月24日 00:05