ライトノベルのジャンルで華々しくデビューを飾り、SFや歴史小説、ミステリーまで幅広く筆を執っている冲方丁さん。その求道的な創作観は、キャリア25年を迎えた今も進化を止めず前進し続けている。これまでの作家生活から最新刊『月と日の后』に至るまで、現在の胸中を尋ねた。(取材・文:友清哲、写真:遠藤宏)
※本稿は、『文蔵』2021年10月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
――1996年に『黒い季節』でデビューされてから、実に25年の年月が経ちました。振り返ってみていかがですか?
【冲方】気がつけばとっくに人生の半分以上を作家として過ごしているわけですから、それはやはり凄いことだなとは思います。
ただ、25周年だからどうというよりも、目の前の課題に一つずつ取り組んできたら、若い頃には思いもよらなかったキャリアになっていた、という気持ちのほうが強いですね。二十代の時に自分が思い描いていた計画に、今の僕の姿はありませんから。
――当初の想定とは異なる方向に進んできた、と。
【冲方】方向性は必ずしも間違っていないと思うのですが、いざ四十代半ばになってみたら、やろうとしていたことが思ったほど進んでいない印象なんですよ。
具体的に言うと、小説や漫画、アニメ、ゲームといった各メディアの制作を経験したいという目標は叶えられました。しかし、小説の中のすべてのジャンルをひと通り経験したいという目標に関しては、まだ道半ばの状態です。
三十代まではわりと順調にこなせていたように感じますが、一方で世の中の変化をまったく見通せていなかったのも事実で、次々に台頭してくる新たなジャンルについて、自分はどうすべきなのか、今もけっこう悩んでいます。たとえば異世界転生物やボーイズラブまで手を伸ばすべきかどうかというと、やはり疑問もあるわけです。
――そうした、あらゆるジャンルの小説を書きたいというのは、作家としての純粋な興味によるものですか?
【冲方】というよりも、総合的に何でも書ける能力が鍛えられていれば、ある特定の物語を描く際に、様々なジャンルの要素を抽出して、よりいい作品が書けるのではないかと考えていたんです。
ところが、娯楽のジャンルが急速に細分化されていくのを見ていると、自分がやらなくていい領域もあるのではないかと思うようになりました。こうしている間にも時代はどんどん変化していますから、自分が持っている能力と折衷して書けるものを、しばらく考え続けることになるのでしょうね。
――時代の変化という意味では、昨今のコロナ禍が世の中を大きく変えた側面もあります。
【冲方】そうですね。振り返ってみれば、9.11同時多発テロ、東日本大震災、そして今回のコロナと、各世代がそれぞれ十代から二十代にかけての多感な時期に、人生観を左右するような一大事を経験していることになります。
おそらく世代ごとの価値観が大きく異なるのもそれが一因で、かつては一世代の単位が二十、三十年くらいだったのが、今は十年違えばもう「世代が違う」と言われてしまいます。
だからこそ、作家としては普遍的なものを描く必要があり、細分化されたニーズを追っている場合ではないと思うようになりました。
――『天地明察』以降、歴史小説家としての一面を確立されたのも、そういうことなんですね。
【冲方】それもありますが、『天地明察』については、もともと高校の頃から渋川春海を描きたいという衝動がありました。ようやく渋川春海を描ききる筆力がついてきたのが、あのタイミングだったということです。もっとも、こうして引き続き歴史小説を書くことになるなんて、あの時点ではまったく想像していませんでしたけどね。
――歴史小説のジャンルではこれまで、渋川春海に始まり、水戸光圀、清少納言、勝海舟など、多彩な人物にスポットをあててきました。そして最新刊『月と日の后』の題材は藤原彰子です。こうして並べてみると、どちらかといえば地味な存在に思える彼女の人生に関心を持ったきっかけは何だったのでしょうか。
【冲方】清少納言について書いた時、ある識者の方に「藤原彰子が面白いよ」と勧めていただき、なんとなく調べ始めてみたら、天皇を実に七代も見守った国母であるということがわかりました。
それだけでも凄いことなのに、時の一大権力者であった藤原道長に唯一反旗を翻した人物が、実の娘である彼女だったという事実にも、非常にドラマティックなものを感じました。
こうしたエンタテインメントの世界では、平安時代はどうしても退屈なイメージを持たれがちで、それは資料が少ないのでやむを得ないことでもあります。
しかし、現在につながる日本人の文化や慣習などは、この時代に作られたものが多いのです。また、藤原彰子という人物に関しては、掘っていけば掘っていくほど面白いネタが見つかる、そんな印象を受けたんです。
――確かに、本作は藤原彰子の長い生涯を追った大河小説ですが、最後まで読み手を飽きさせませんね。
【冲方】なにしろ弱冠十二歳にして朝廷入りして、権力欲の塊のような男たちに囲まれながら自我を貫くわけですから、これは相当な人物ですよ。さらに、政敵であった藤原定子の子どもを引き取り、道長から守り続けたというのも、一体どういうメンタリティによるものなのか気になりました。
また、道長との戦いももちろん武力によるものではなくて、自分たちを無視できない存在に高めることで立場を拮抗させるという、極めて政治的なやり方を彼女は採っています。これは現代から見ても興味深い手法でした。
――物語としての面白さもさることながら、冲方さんがすっかり藤原彰子という人物に心酔している様子が作品から伝わってきますね。
【冲方】そうかもしれないですね。何より、史実を見れば彰子の子どもや孫が次々に天皇になっていくわけですが、彼女が後世まで規範になり続けているのも特筆すべき点でしょう。
「彰子はあの時こうしていた」、「彰子はこういう手法でことを進めていた」と、後の天皇たちが参考にし続けているんです。
こんなに凄い女性があまり知られずにいるのは、非常にもったいないことだと思います。歴史の勉強という面から考えても、藤原彰子を徹底的に勉強すれば天皇七代分が頭に入るわけですから、本当はすごく効率的なはずなのですが(笑)。
――しかし、とにかく古い時代のことゆえ、執筆に際しては資料ひとつをあたるのも大変だったのでは?
【冲方】そうなんです。そもそも資料が少ないということもありますが、当時のことを記した古文をいくら紐解いても、まるで要領が得られず苦労しました。日本語特有の主語を省くスタイルが、当時からのものであると実感できたのは興味深かったですけどね。
更新:11月21日 00:05