もともと日本海軍の戦い方は、防衛戦を元に考えられていた。しかし太平洋戦争で、日本はハワイ、ニューギニア、フィリピンを取ろうとして、収拾がつかない戦闘をしてしまった。明治以来の国防方針から外れた戦い方をしたところに、間違いがあったのではないか。
近代において軍は、いざというときの武力衝突に備えるものであると同時に、「この国には強い軍隊があるから、話し合いでケリをつけよう」と、他国に思わせる抑止力としてのツールでもある。
そうした外交ツールとして、軍を使うノウハウが日本には欠けていたように思う。「軍は戦争するツールであり、戦争は勝つか負けるか、二つに一つ」というレベルに止まっていたのだ。
もっとも、技術の面では、部分的には欧米に引けを取らない「意識の高さ」があった。
ワシントン条約で戦艦の建造を制限されたとき、日本の海軍が一番気にしたのは、10年の条約を一回更新すれば20年戦艦を建造しないことになる。「20年つくらなかったら、つくったことのある工員が現場からいなくなり、つくれなくなる」ということだった。
そこで、造船の現場の工員にていねいな教育を施した。そのためむしろ、戦艦の建造能力は軍縮時代のほうが進んでいる。
軍縮条約下で海軍工廠の工員教育を徹底し、つくる能力を十分にもちながら、つくらないという状態を維持することに、海軍は成功したのだ。
また、それらを使うほうの水兵や下士官も能力が高く、船を動かす能力、大砲を撃つ能力は「世界三大海軍国」といっていいレベルだった。
問題は、「上」の能力である。
軍艦として、艦隊として、さらには国家の武力として使う能力が十分ではなかった。それは海軍だけの問題ではなく、国家としての日本が抱えた問題だったといえるのではないだろうか。
更新:11月22日 00:05