2019年07月22日 公開
2023年02月22日 更新
「モノづくり」は、エンジニアが設計し、現場が製造すると考えられがちだ。しかしその前に、こういう方向性でつくってほしい、という「要求」がある。
それを受けて設計と製造が行なわれるのだから、要求する側の能力が「モノの出来」に影響を及ぼすことはいうまでもない。
大和と零戦を考える上でも、「要求する側のレベル」は重要だ。
大和の場合、最初のコンセプトは「アメリカに負けない兵力」だが、海軍がまず考えたのは「アメリカの戦艦より口径の大きな主砲」であり、40センチ砲をはるかに上まわる46センチ砲を要求した。
さらに、将来的な展望を加味し、時速30ノットの速力を求めた。これは建造の過程で難しいことが明らかになり、27ノットまで落とされたものの、当時としては十分な速さであり、新鋭の巨大戦艦と呼ぶにふさわしいものであった。
戦時中にはなるが、ドイツは50センチ砲をもつ巨大戦艦を計画していたし、アメリカもイギリスも大和クラスの戦艦をつくろうとしたら、設計図はできただろうし、建造する能力もあった。
しかし、実際につくった国は日本以外にはない。設計図で止まったら、文字通り「絵に描いた餅」である。大和の誇るべき点は、史上最大の戦艦を計画するだけでなく、現につくり上げたことであろう。
もっとも、大和は「日本海軍ならではの制約」を内在していた。
明治40年の帝国国防方針以来、海軍の防衛作戦は、来襲する敵艦隊を近海で邀撃するというものである。
これは、日本の国情に合ってはいるが、目の前に来た敵を撃滅できなかったらおしまいだ。したがって、一回の決戦で絶対に勝たなければならない。そのため、日本の艦船は一回だけの決戦用につくられていたといってもいい。
それを象徴するのが、「被害を受けても、できる限り戦闘時間を長くする」という設計思想だ。
具体的にいえば、浸水して艦が傾いたときに水を排出するのではなく、艦の反対側に水を入れ、艦が水平を保てるようになっているのである。
なぜ、沈みかけた船に水を入れるのか。艦が水平でないと、大砲を撃てないからだ(ちなみに、大和は5度以上傾くと、主砲が使えない)。
要するに、「沈んでもいいから、少しでも長く戦い続ける」という設計であり、ダメージコントロールも、より戦闘継続が優先されたために、日本の戦艦は結果として沈みやすかったのである。それは、大和も例外ではない。
もう一つ問題を挙げるならば、46センチ砲の砲弾に耐えうる防御を施したことだ。
戦艦の設計において、防御は自艦がもつ最大の砲弾の命中に耐えうることが原則だ。
とはいえ、防御にあてる資材の重量は決まっているから、火薬庫やエンジンなどの重要な部分を集中的に防御し、それ以外は手薄になってしまう。
しかし冷静に考えれば、アメリカの戦艦の主砲は40センチほどで、46センチ砲に対する防御はオーバースペックだ。
要求の段階で「アメリカの戦艦の主砲弾に耐えるように」と、ひと言入れさえすれば、こうした設計は回避できたとも考えられる。
更新:11月22日 00:05