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昭和22年、高まる労働運動と新憲法施行。占領下に生きる日本人

2019年07月11日 公開
2022年01月21日 更新

平塚柾緒(戦史研究家)

商業捕鯨船日本丸
《捕鯨船「日新丸」が〝お土産〟をどっさり積んで南極から帰ってきた。さっそく慰労パーティーがGHQや政府関係者を集めて、東京の芝浦ドックで開かれた。司会者の右側にはヱビスビールがぎっしり並んでいる(1948年4月12日)》
 

商業捕鯨再開と大型台風の襲来

5月3日に新憲法が施行された昭和22年は、戦後の日本に定着したさまざまな制度がスタートした年でもあった。教育の「6・3・3制」もその一つである。

国民学校初等科に代わる小学校が6年制、国民学校高等科に代わる新制中学校が3年制、中等学校に代わる高等学校が3年制、そして大学校が4年制で、いずれも男女共学とされた。

4月から5月にかけて行われた統一選挙も、日本では史上初めてのものであった。都道府県知事・市区町村長選に始まり、第一回参議院議員選挙、やり直し衆議院議員選挙、そして地方議会議員選挙が行われた。

このため政治家たちは、公職追放令が出されるなか離合集散を繰り返し、なんとしても議席にすがりつこうと狂奔していた。初の社会党首班による「片山内閣」が登場したのはこのときである。

平成最後の師走、日本政府はIWCを脱退した。IWCとは国際捕鯨条約にもとづいて1948年に発足した国際捕鯨委員会のことで、日本は1951年に加盟した。脱退の理由は、条約で禁止されている商業捕鯨を再開したいためである。しかし、国際条約を脱退してまで捕鯨再開を国民が要望したわけではない。平成の世に食材はあふれ、いまや鯨肉は日本人の食卓からは忘れられた存在だ。報道によれば、一部の政治家の選挙区事情では? ともいわれている。

戦後、その捕鯨が再開されたのがこの年、昭和22年であった。飢えた国民のタンパク源を補おうと、GHQの指導の下に捕鯨船が次々出港し、そして貴重なお土産をどっさり積んで帰ってきた。

台風
《東京・葛飾区堀切橋の救護所に向けてイカダを漕ぐ人と、救援を待つ人々(1947年9月21日)》

ところが平成最後の夏と同じく、昭和22年も日本は大型台風に襲われ、関東地方は甚大な被害を被った。

9月14日から15日にかけて、関東地方は戦後の治水史上に残る大雨に見舞われた。その結果、利根川と荒川などの堤防が決壊し、埼玉県東部から東京23区東部にかけての広い地域で家屋の浸水が発生した。この台風による被害は甚大で、死者は1077人、行方不明者は853人、負傷者は1547人を数えた。その他、住家損壊9298棟、浸水38万4743棟など、罹災者は40万人を超えた。

もしかしたら鯨が怒って大暴れしたのかもしれない……。

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