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昭和22年、高まる労働運動と新憲法施行。占領下に生きる日本人

2019年07月11日 公開
2022年01月21日 更新

平塚柾緒(戦史研究家)

労働運動
《世界労連代表の来日に合わせて、皇居前広場で主要労組の大集会が催された。ただ、代表は集会に姿を見せなかった(1947年4月4日)》
 

日本占領史

先の大戦に敗れた日本は、初めて「連合国」という名の外国の軍事力によって6年8カ月ものあいだ占領され、統治される経験を強いられた。
この占領期に関する記録や出版物は膨大な数に上っているが、写真を中心とした“目で見る占領史”は必ずしも多くはない。
当時、まだ時の状況を写真や映像に記録しておくだけの態勢が整っていなかったからでもあろう。
だが今日、「占領期」という時間が、いよいよ「歴史」となり、研究の対象として当たり前のものとなった。
今後、さまざまな新事実が究明されていくであろう、その時のために、現在の視野をビジュアルで示しておこうと刊行されたのが『写真でわかる事典 日本占領史』(平塚柾緒著、PHPエディターズグループ刊)である。

※本稿は、同書の一部を抜粋、編集したものです。
 

著者略歴

平塚柾緒(ひらつか まさお)
1937年、茨城県生まれ。出版社勤務後、独立して取材・執筆グループ「太平洋戦争研究会」を主宰し、数多くの元軍人らに取材を続けてきた。著書に『東京裁判の全貌』『二・二六事件』(以上、河出文庫)、『図説 東京裁判』(河出書房新社)、『見捨てられた戦場』(歴史新書)、『写真で見る「トラ・トラ・トラ」 男たちの真珠湾攻撃』『太平洋戦争裏面史 日米諜報戦』『八月十五日の真実』(以上、ビジネス社)、『玉砕の島々』(洋泉社)、『写真で見るペリリューの戦い』(山川出版社)、『玉砕の島 ペリリュー』(PHPエディターズ・グループ)など多数。原案協力として『ペリリュー ─楽園のゲルニカ─』(武田一義著・白泉社)がある。

 

高まる労働運動

人々は1947年(昭和22年)の正月を、空腹と争乱の中で迎えた。

占領下2度目の師走を迎えた昭和21年12月、飢餓状態の国民は激しいインフレにも直撃され、生活は日に日に追いつめられていった。しかしGHQの傀儡政権に過ぎない日本政府には、何らの対策も講じられなかった。GHQの方針で力を増していた労働組合を中心とした「食糧よこせ!」デモは、いつしか反政府運動へと変化していった。そして年は明け、占領下3年目の新年を迎えた。

1月11日、年末に共同闘争委員会を組織した労働組合側は、「吉田亡国内閣を打倒し、民主人民政府を樹立する」ため、「2月1日からゼネラル・ストライキに突入する」と宣言した。まるで共産主義革命突入宣言のような声明を聞いたGHQは、1月31日午後、マッカーサー最高司令官名でゼネスト禁止命令を発した。

伊井弥四郎全共闘会議議長
《伊井弥四郎全共闘会議議長》

絶対権力者の命令に逆らうことはできない。伊井弥四郎全共闘会議議長はGHQに命じられて、ラジオを通じてストの中止を涙を流しながら伝えた。

「二・一ゼネスト」がGHQの命令で中止となって間もない1947年3月、世界労連(世界労働組合連盟)日本視察団が来日した。世界労連は第2次世界大戦終結後の1945年10月にイギリス労働組合会議と全ソ労働組合中央評議会を中心に、56カ国の労働組合を糾合して発足した統一組織だった。この世界労連視察団の来日を機に誕生したのが全国労働組合連絡協議会(全労連)で、産別会議、総同盟、国労、日本労働組合会議などから446万人の労働者が集まった。全労連は名称の通り「連絡協議会」だったため、実のある活動は残せなかったが、ゼネスト中止で沈滞しかけた日本の労働運動に再び火をつける点火剤の役割を担った。

高揚する労働運動の一方では、戦争で途絶えていた伝統的な行事や文化活動も徐々に復活していた。同時に、米軍を主体とした進駐軍のさまざまなイベントも、次第に恒例化しつつあった。これらイベントは、娯楽の少ない当時の日本人にとっては、格好の暇つぶしとなっていた。

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