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綏靖天皇(第2代)と安寧天皇(第3代)

2019年03月04日 公開
2019年03月29日 更新

吉重丈夫

安寧天皇陵
畝傍山西麓に位置する第3代安寧天皇陵
(奈良県橿原市)
 

第3代・安寧天皇
世系8、即位29歳、在位38年、宝算67歳

皇紀84年=綏靖(すいぜい)5年(前577年)、先帝・綏靖天皇の皇子として誕生された磯城津彦玉手看命(しきつひこたまてみのみこと)である。

母は先帝・綏靖天皇の皇后で事代主命(ことしろぬしのみこと)の次女・五十鈴依媛(いすずよりひめ)で、初代神武天皇の皇后・媛蹈鞴五鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)の妹である。

皇紀104年=綏靖25年(前557年)1月7日、21歳で立太子された。

皇紀112年=安寧元年(前549年)5月、父の綏靖天皇が崩御される。

父帝・綏靖天皇の崩御を受け、同年7月9日、皇太子・磯城津彦玉手看命が29歳で安寧天皇として即位される。

皇子は磯城津彦玉手看命だけで、この皇位継承には何らの問題もなかった。

翌安寧2年、大和国片塩浮孔宮(かたしおうきあなのみや、奈良県大和高田市)に都を置かれた。

皇紀115年=安寧3年(前546年)春1月5日、事代主命の孫・鴨王(かものきみ)の娘・渟名底仲媛(ぬなそこなかつひめ)を立てて皇后とされる。

第3代天皇の皇后もまた事代主命の系統である。事代主系が初代から3代続けて皇后となっておられる。

皇紀123年=安寧11年(前538年)春1月1日、第二皇子の大日本彦耜友命(おおやまとひこすぎとものみこと)を立てて皇太子とされる。

第一皇子に同母兄・息石耳命(おきそみみのみこと)がおられたが、第二皇子が立太子された。

即位後11年にして早々に第二皇子・大日本彦耜友命を皇太子に立てておられるので、この立太子は天皇の明確な意思と見てよい。

『古事記』には息石耳命については記載がなく、皇位継承で混乱した形跡はない。

しかし、息石耳命には皇女・天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)がおられ、次代の懿徳(いとく)天皇の皇后となっておられる。もう一人の皇子で弟の磯城津彦命(しきつひこのみこと)は猪使連(いつかいのむらじ)の始祖となられた。

皇紀150年=安寧38年(前511年)冬12月6日、在位38年にして、67歳で崩御される。

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