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殿様は江戸で何をしていたのか?~幕府の監視下に置かれた窮屈な日々

2019年02月28日 公開
2023年01月30日 更新

安藤優一郎(歴史家/文学博士)

 

厳しく規制された「殿様の行動」ータイムスケジュールの遵守が求められる

お殿様たちにとり、江戸城への登城そして拝謁という行事は、たいへんな緊張感を強いられるものだったが、江戸藩邸での生活も何かと気苦労が多かった。再び浅野長勲に語ってもらおう。

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藩主としての日常は、まことに厳重なものでありまして、例えばちょっと外へ出るというても、東の門から出て、西の門から帰るということは出来ない。西の門の方へは何等そういう通告が渡っておらぬからです。私も一度そういうことがあって、西の門から帰ろうとしたところが、どうしても門番が入れない。いくら藩主であるとか、殿様であるとかいうても、通知がなければ入れませんと言う。仕方がないから、前に通知してあった東の門から帰りましたが、これは私のあやまちで、あとから門番を賞したことがある。藩主たるものは、よほど慎んで諸事に油断なくしていなければなりません。
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殿様の行動は、厳しく規制されていた。長勲が証言するように、屋敷から外に出る場合も出入りする門は決まっていて、急に変更することはできない。あらかじめ、門番にその旨を通知しておかなければ、違う門から出ることも入ることもできなかった。

諸事こんな調子だったが、一日のタイムスケジュールもきっちりと決められ、その遵守が強く求められた。藩主といえども、我儘は許されなかった。

六ツ半時(午前7時)になると、小姓が起こしに来る。四ツ半時(午後11時)には寝なければならない。小姓が就寝時刻になったと知らせに来るが、まだ寝ないでいるとか、もっと旨うまいものが食べたいと言うことは許されなかったのである。

 

羽を伸ばした「隠居大名」─ここぞとばかりに“江戸ライフ”を満喫!

長勲に限らず、殿様たちは息の詰まる窮屈な生活を江戸藩邸で余儀なくされていた。屋敷内での娯楽と言っても、謡曲や詩作という高尚なレベルのものが多く、砕けた遊興というレベルのものではない。そのため、外出することはたいへん楽しみだった。

だが、国元にいる時とは違い、江戸の場合は、絶えず幕府の監視下に置かれていた。大目付という諸大名の監察を任務とする幕府の役職もあった。

結局のところ、現役の藩主である間は羽目を外せず、江戸在府中は藩邸に閉じこもることが多かった。要するに、堅苦しい生活を余儀なくされる。もし羽目を外してしまうと、不行跡ということで処分される危険性もあった。

実際、次のような事例が見られる。

寛保元年(1741)に、藩祖(榊原康政)が徳川四天王の一人で譜代の名門の姫路藩主・榊原政岑(まさみね)は、吉原での遊興が過ぎて隠居を余儀なくされる。さらに、榊原家は姫路から越後高田へ「お国替え」となった。これは事実上の懲罰処分を意味していた。

このため、現役中は藩邸内で自重せざるを得なかったが、隠居すると、殿様たちはその反動から余暇を大いに楽しむ。上屋敷から中屋敷へと移って悠悠自適の生活を送り、外出も頻繁になるが、そのシンボルのような隠居大名の事例としては、大和郡山藩主の柳沢信鴻(のぶとき)が挙げられる。

あの柳沢吉保の孫にあたる信鴻は、安永2年(1773)に50歳で隠居し、駒込の屋敷(現・六義園)に移り住む。以後20年近く、気ままな隠居生活を送った。

信鴻と言うと、芝居見物を大いに好んだ大名として当時から有名だった。早朝に駒込の中屋敷を出発して、日本橋の芝居町まで歩いて行く。夕方に幕が引くのに合わせて、駒込まで歩いて帰るということが、月に何回もあった。往復10数キロメートルの行程だが、その健脚ぶりには驚かされる。

安永8年(1779)の行動記録を調べてみると、80回も外出している。浅草寺や神田明神などの寺社参詣をはじめ、お花見、螢狩り、月見。もちろん、芝居見物もある。信鴻の江戸名所めぐりは実に多彩だった。

現役のお殿様では到底できなかった楽しみを、ここぞとばかり楽しんでいる。その日常がどれだけ窮屈だったかが、まさに滲み出ている江戸めぐりなのである。

 

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