『漂巽紀畧』の内容の紹介は措くとして、ここでは小龍の「苦労話」を紹介しよう。
アメリカに数年間滞在していた万次郎は、すでに日本語を忘れかけており、英語交じりの片言しか話せなかったという。そこで困った藩が起用したのが小龍だったわけだ。しかし小龍が学んでいたのはオランダ語であった。
当然、小龍も弱りきる。そこで彼がとった行動が、万次郎を自宅に連れ帰り、寝食を共にする、というもの。小龍は万次郎に読み書きを教え、自身は万次郎から英語を学ぶ。そうして2人は徐々に意志が通じるようになったとされる。
画家の小龍らしく、『漂巽紀畧』には多くの挿絵がある。小龍は、蒸気機関車など未知のものも万次郎の話から想像を膨らませて描いた。挿絵のなかにはアシカもあり、果たしてどんな動物か、小龍もさぞ困ったことだろう。
小龍はこうして万次郎から、アメリカ、ひいては世界の知識に触れた。そんな小龍の教えを請おうと、多くの若者が墨雲洞に集った。運命的だったのは、土佐沖の大地震を受けて、小龍が龍馬の実家近くに避難したことだ。龍馬が小龍と出会うのは、まさしく自然な成り行きであった。
小龍は龍馬に「船で海に出て世界を考えよ」と諭した。そして龍馬は小龍に「先生は人をつくって下さい、自分は船を得ますから」と伝えたという。もちろん、小龍が「世界を考えよ」と伝えた背景には、万次郎との出会いで得た知識があった。
こうして、万次郎の知識や思想は龍馬に受け継がれ、のちの海援隊の構想へと繋がっていくのであった。海援隊は勝だけではなく、小龍の存在抜きには成立し得なかった。
なお、冒頭でジョン万次郎資料館の紹介をしたが、高知県立坂本龍馬記念館では、特別展「龍馬‐真物から感じる龍馬の魂‐」(12月24日<月・祝>まで)の企画展示室にて、小龍を紹介するとともに画を展示している。
また、次回の企画展は「ジョン・マンと呼ばれた男~中濱万次郎」展(12月29日<土>~2019年2月24日<日>)。これを機に小龍、そして万次郎の世界に触れてみてはいかがだろうか。
更新:12月10日 00:05