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ナポレオン・ボナパルトに学ぶ「最強の教訓」~好機の神に後髪なし!

2018年11月14日 公開
2022年06月07日 更新

神野正史(河合塾世界史講師)

ナポレオンボナパルト

ナポレオン・ボナパルト。
革命期フランスの軍人・政治家。
裸一貫で身を起こし、フランス第一帝政の皇帝に即位する。

18世紀の末、混迷を窮めたフランスに彗星の如く現れ、あっという間にフランスをまとめあげ、のみならず全欧に覇を唱えた「小さな巨人」です。
西郷隆盛や吉田松陰といった幕末維新の偉人たちも、競って「那波列翁伝」を読みあさり、彼の人生に学んだといいます。
彼の人生から学んでみることにしましょう。
 

35歳の若き皇帝ナポレオン。その逆境時代とは?

彼は16歳のときに士官学校を卒業してからというもの、裸一貫で少尉から身を起こして、皇帝にまで昇りつめた破格の人物です。

これほどの大出世といえば、日本では足軽から身を起こして太閤にまで昇りつめた豊臣秀吉が思い浮かびますが、彼は14歳で初めて仕官してから天下人となるまで、約40年を要しており、苦労人です。

それに比べてナポレオンはその半分の20年足らず、なんと35歳の若さで皇帝にまで昇りつめたのですから、その出世スピードの速さから、一見、順風満帆に人生を歩んでいったかのようにも思えますが、実はそうではありません。

彼が20歳の誕生日(1789.8/15)を迎える1カ月ほど前にフランス革命が勃発(7/14)。

さらに、23歳の誕生日の5日前には「テュイルリー宮殿襲撃事件(1792.8/10)」を目の前で目撃しています。

まさにフランス革命の激動のド真ん中に彼は生きていました。

ナポレオンも血気盛んな若者でしたから、こうして目の前で展開する歴史的事件の数々に、さぞや血湧き肉躍ったろう─と思いきや。

不思議なほど、彼は革命に興味を示しません。

なぜでしょうか。

このことについて知るためには、彼の生い立ちについて知っておく必要があります。
 

若くして、人生の目標を見失う

彼は、もともとコルシカ島の出身でしたから、血統的にはイタリア系で、生粋のフランス人ではありません。

その彼がまだ母親に甘えたい盛りの9歳のころ、諸般の事情で親元を離れて単身フランスに渡ってきたのです。

ブリエンヌ陸軍幼年学校に入学させられたものの、新しい環境になかなか馴染めず、コルシカ訛りもとれなかったため、「田舎者」として同級生から格好のいじめの対象となります。

「ラパイユオーネや~い!」(直訳すれば、「鼻の穴に突っ込んだ藁(わら)」という意味ですが、語義そのものにはほとんど意味はなく、ナポレオンのイタリア語発音「ナポレオーネ」と引っかけたからかいの言葉)

「コルシカ野郎はコルシカへ帰りやがれ!」

こうしたいじめは、いつの時代どこの国にでもあることです。

小学生のころ、いじめられっ子だった彼が、その25年後、皇帝として君臨することになろうとは、誰も想像だにできなかったことでしょう。

最初から心を鎖していたためか、いじめられたからか、彼は人づきあいも悪くなり、無口で、ひとり黙々と本を読む少年となっていきます。

そうした孤立した学校生活の中で、「ここフランスは俺の居場所ではない! いつかコルシカに帰って、故郷に錦を飾ってみせる!」という想いが悶々と、そして深く彼の心に浸透していくことになります。

彼が、目の前で展開するフランス革命になんら関心を示さなかったのは、そうした生い立ち故でした。

また、当時のフランス将官はすべて上級貴族で占められていて、下級貴族でしかも生粋のフランス人ですらないナポレオンが、フランスで出世する可能性はほとんどありませんでした。そうした現実もナポレオンがフランスに関心を示さなかった理由のひとつだったのかもしれません。

「ふん! 革命騒ぎなどどうでもいい。私の関心は、それがコルシカにとってどう関係してくるかだけだ!」

そんな折、コルシカにパオリ将軍が亡命先のイギリスから帰ってきたとの報を受け取ります。

「なに! ? パオリ将軍がコルシカに戻ってこられたのか! ? よし! 私もすぐにコルシカに帰国するぞ!」

パオリ将軍。

ナポレオンが生まれる前、コルシカ独立戦争で活躍し、「祖国の父」と讃えられていたコルシカの英雄で、ナポレオンは彼をたいへん尊崇していました。

彼はパオリ将軍を慕い、なんとフランス陸軍大尉の地位をあっさり放り出してコルシカに帰島してしまいます。

しかし。

彼は、現実の前に打ちのめされることになりました。

永らくイギリスで亡命生活を送っていた老将軍(パオリ)と、フランスで青春を過ごしてきた青年将校(ナポレオン)では、あまりにも政治理念が隔たってしまっていたためです。

たちまちナポレオンとパオリ将軍の関係は悪化し、ナポレオンは彼によってコルシカから追放され、命からがらフランスに舞い戻らざるを得なくなります。

帰国後、ナポレオンはなんとか原隊に復帰できたものの、幼少時代からずっと思い描いていた「コルシカに錦を飾る」という夢が破れ、尊敬していたパオリ将軍には失望させられ、人生の目標を見失ってしまいます。

しかも、今回のことでボナパルト家の全財産が没収されてしまったため、母と3人の弟と3人の妹を養っていかねばならず、ナポレオンは急速に困窮していきます。

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