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アドルフ・ヒトラー~孤独な男の不思議なカリスマ性

2018年04月30日 公開
2022年07月19日 更新

4月30日 This Day in History

アウシュビッツ
 

今日は何の日 1945年4月30日
アドルフ・ヒトラーが夫人のエヴァ・ブラウンとともに自殺

1945年4月30日、アドルフ・ヒトラーが夫人のエヴァ・ブラウンとともに自殺しました。連合軍の包囲下、ベルリン陥落直前の独裁者の死でした。

1889年、ドイツとオーストリアの国境の町で生まれたオーストリア系ドイツ人のヒトラーは、小学校では成績優秀で、芸術家を夢見ていましたが、父親に実業学校に入れられて失望、不真面目で成績も振るわない少年になったといわれます。

その後、13歳の時に父が死去すると、18歳でウィーンに移り、美術アカデミーに入学しようとします。しかし彼の画風は独創性に乏しいと認められず、5年後、ドイツに戻りました。

次にドイツ陸軍(バイエルン王国陸軍)に志願し、第一次大戦に参戦しますが、上官から「統率力に欠ける」として伍長以上の進級は認められません。

紆余曲折を経て30歳頃に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の一員となり、やがて過激な演説などで有力政治家と見なされていくことになります。

彼はアーリア民族を中心とする「民族主義」「大ドイツ主義」「反ユダヤ主義」を掲げ、次第に支持を集めて党首となりました。そして1923年、勢力を率いてミュンヘンを示威行進したところ、警察に弾圧されて逮捕、収監されます。

ところが裁判でヒトラーは弁解せず、自分が全責任を負うと表明したところ、かえって人気が高まり、花束を持った女性支持者が連日押しかけることになりました。この頃のドイツの民衆の気分を象徴しています。

そして収監中に著したのが『わが闘争』でした。刑務所の所長もヒトラーに心酔するようになり、翌年、出獄したヒトラーは、合法的な選挙でさらに勢力を広げ、1933年には首相に、翌年にはヒンデンブルク大統領の死去によって、国家元首となりました。

彼の政治手腕を示すものとして、33年に600万人に達していたドイツ国内の失業者が、翌年には半減した事実があります。またヴェルサイユ条約で禁止されていたドイツ軍の再軍備を公然と行ない、1936年にはベルリン・オリンピックを開催して成功させました。

一方で指導者による独裁指導体制を築いて「独裁者」となり、ユダヤ人を迫害する政策を実施していきます。そして民族を養うための領土回復を唱え、1939年のポーランド侵攻により、第二次世界大戦を引き起こすのです。

ブルーノ・ガンツ主演の「ヒトラー 最後の12日間」という映画がありました。ユンゲという若い女性秘書の証言がもととなった映画ですが、描かれていたのは傲慢な独裁者というより、秘書のミスにも怒りを見せない温和で病身の初老の男性でした。何より「孤独」を強く感じさせました。

彼がエヴァ・ブラウンと結婚するのは、死の前日です。また、ヒトラーの自殺後、ドイツ国民の多くが失望し、後を追った者も少なくありませんでした。第一次大戦後の抑圧からドイツを救う指導者として、多くの人々の期待を集めていたことも事実なのでしょう。

ユダヤ人虐殺をはじめ、独裁者ヒトラーは嫌悪すべき存在です。一方で孤独な男であり、不思議なカリスマ性を持っていて、時代の後押しを受けた人間であったという一面も、客観的に捉えるべきなのかもしれません。

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