2018年02月26日 公開
2019年01月24日 更新
昭和11年(1936)2月26日、高橋是清が2.26事件により殺害されました。かつて麻生財務大臣は 「デフレ不況を好転させた経験者は、現在いません。ならば我々は、歴史に学ばなければいけません。一番は高橋是清です」と語り、注目を集めました。
高橋是清は昭和2年(1927)の金融危機を42日間で鎮静化し、昭和6年(1931)の世界大恐慌では、的確な措置で世界のどの国よりも早く、日本を脱出させ、立ち直らせました。何より是清の登場は、当時の国民に「ああダルマさんが出てきた。もう大丈夫だ」という安心感を与えたといいます。ダルマのようなまん丸の顔に、明るい笑顔という人から愛されるキャラクターもさることながら、是清には数々の修羅場をくぐり抜けてきた経験があり、それが国民に大きな信頼感を与えていたのです。これほど人々から信頼された大蔵大臣は、是清の他には見当たりません。
その信頼感はもちろん、一朝一夕で生まれるものではなく、是清の波乱の前半生の中で培われたものも大きかったはずです。仙台藩の足軽の家に里子に出され、アメリカに留学したはずが奴隷に売られ、芸者遊びにはまって箱屋となり、ペルー鉱山投資で騙されて一文無しとなる。そんな是清ですが、彼は子供の頃から「自分は運がいい」と信じていました。ですから何度もどん底生活に落ちますが、絶望することもなく、誰を怨むでもなく、「何、また一からやり直すさ」と考えることができたのです。そして自分が必要とされれば、それに応じて勉強もし、全力で取り組みました。その姿勢が結果的に、是清をどん底から救い、日銀副総裁として日露戦争の外債募集に成功し、さらに首相を務め、大蔵大臣を歴任することにもなるのです。
是清はこう語っています。
「いくら機会を捉えなければ立身出世しないとはいえ、これを自分から作るべきではない。自分で機会を作るということになると、機会を作るためには、時にあるいはその手段を選ばぬというようなこともしかねない。こういうことまでして、機会を作って立身出世をしたからとて、なんら価値のないものである」
「機会は決して作るべからず、自然と自分の前に来たところの機会を捉えなければならぬ」
是清の「自分は運がいい」と考える姿勢は、与えられた機会を幸運に変える秘訣のようにも思えます。そしてそれは大蔵大臣・高橋是清だけでなく、誰の生き方にも応用できるかもしれません。
更新:11月23日 00:05