2018年01月03日 公開
2022年07月14日 更新
――史料を自在に読み解き、研究を重ねてこられた先生ですが、そもそも歴史に興味を持ったきっかけは何だったのでしょう。そして、大学の史学科に入るまでのことを聞かせてください。
山本 小学生の頃に読んだ偉人伝が、歴史に興味を持つきっかけだったように思います。ですが本当に歴史が面白いと思ったのは、高校生の時に世界史の授業を受けてからです。それまで知らなかった史実に衝撃を受け、なかでも王朝興亡の歴史に興味をひかれました。
それからいろいろな本を読み漁り、歴史の奥深さに魅せられ、歴史学者になろうと思うようになりました。
――そんな先生が選ばれたのは、東大の文学部国史学科です。なぜ世界史ではなかったのでしょう。
山本 考えた末に日本史を選んだのは、語学に自信がなかったからです(笑)。世界史を勉強するには、外国の文献をすらすら読めないといけないですからね。
東大は、1、2年生が教養課程、3年生から専門課程の授業を受けるシステムになっています。教養課程の授業は愉しかった。社会学のように、初めて習う学問もありましたしね。
当時は教養課程に、「一般教養ゼミナール」と称した、歴史学の初歩を学ぶ講座があり、受講していました。
――ご著書のなかに、農村に調査に行き、くずし字を読む訓練をしたとありました。
山本 大学3年生のときのことです。調査のために農村へ行き、くずし字を見せられたときは、何が書いてあるか全くわからず、まいりました。
それが目録をつくるという地道な作業を続けていくうちに、よく出てくる文字が読めるようになるんです。難しい字は文脈のなかでしか読めないので、最初のうちはお手上げでしたが、これが読めるようになると面白かった。くずし字は、周辺情報を活字の本で頭に入れてから眺めてみると、読む速度が格段にアップします。
――卒論のテーマは、豊臣秀吉と戦国大名を仲介する「取次」という役職についてで、それがそのまま学術雑誌に掲載されたとか。
山本 卒論は、石田三成のような奉行が、諸大名との「取次」役を果たしていることを述べたもので、当時はそれに注目している人がいなかったため、「歴史学研究」という学会誌に掲載されました。
秀吉の時代には、この取次が政治も行っていますが、江戸時代になると、老中ら幕閣に決定権が移ります。しかし、老中も実はもとは取次なんですね。
――江戸時代初期がご専門だと思っていましたが、秀吉時代の研究もされていたのですね。
山本 近世の体制が固まったのは秀吉時代なんです。兵農分離、刀狩り、検地、身分制度の確立も秀吉時代に始まっています。織田信長は覇権を確立することに手一杯だったのですが、天下統一を成し遂げた秀吉には、戦国時代の乱れた世の中を正していく余裕がありました。秀吉は、こうした新しい諸制度をつくり、全国的に波及させたのです。
歴史が好きという人には信長好きの方が多いようですが、新しい時代を見据えた制度を確立した秀吉に、もっと目を向けてもいいと思います。
更新:11月23日 00:05