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歴史街道 » 本誌関連記事 » 海津城代・春日信達の調略と真田昌幸 » 画像1 枚目
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2016年02月28日 公開 2024年12月16日 更新
『歴史街道』編集部
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東から北条、南から徳川、北から上杉が信濃へ…。天正10年(1582)3月、武田家が滅亡。さらに三カ月後、本能寺の変で織田信長が横死すると、甲斐・信濃・上野の旧武田領は、北条氏直・徳川家康・上杉景勝の三強が覇権を競う草刈り場と化し、「関東三国志」と呼ぶべき状況となります。しかし、この争乱で主導権を握ったのは三者のいずれでもなく、信州小県から上州吾妻、沼田を自領とする真田昌幸でした。真田領は三者の領地と接し、真っ先に併呑されてもおかしくないところ、昌幸は冷静に相手の弱点を見抜き、智略をもってむしろ三者を翻弄、ついに独立大名となるのです。いかにして「小」が「大」に挑むべきかを、昌幸から探ります。 第二特集は「鍋島直正と近代化に挑んだ男たち」です。
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更新:06月06日 00:05
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