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歴史街道 » 本誌関連記事 » 徳川勢を震え上がらせた真田昌幸・上田合戦の策略 » 画像3 枚目
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2016年02月16日 公開 2024年12月16日 更新
工藤章興(作家)
上田城
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東から北条、南から徳川、北から上杉が信濃へ…。天正10年(1582)3月、武田家が滅亡。さらに三カ月後、本能寺の変で織田信長が横死すると、甲斐・信濃・上野の旧武田領は、北条氏直・徳川家康・上杉景勝の三強が覇権を競う草刈り場と化し、「関東三国志」と呼ぶべき状況となります。しかし、この争乱で主導権を握ったのは三者のいずれでもなく、信州小県から上州吾妻、沼田を自領とする真田昌幸でした。真田領は三者の領地と接し、真っ先に併呑されてもおかしくないところ、昌幸は冷静に相手の弱点を見抜き、智略をもってむしろ三者を翻弄、ついに独立大名となるのです。いかにして「小」が「大」に挑むべきかを、昌幸から探ります。 第二特集は「鍋島直正と近代化に挑んだ男たち」です。
「智謀は七日の後れあり」。かの上杉謙信が、智謀の面で自分は後れをとっていると認めたのが、真田幸隆でした。信州の真田氏といえば、一般に知られているのは智将・真田信繁(幸村)です。しかし信繁の活躍は、祖父・幸隆、父・昌幸の存在なしにはあり得ませんでした。一度は流浪の身になりながら、仇敵・武田氏に仕えることで旧領を回復、外様ながら重臣として信玄から篤く信頼された幸隆。幼少より信玄の側近くに仕え、名将の軍略用兵術を学び、主家滅亡後は大勢力に囲まれながら、したたかな戦略眼で所領を死守、精強徳川軍を撃退して独立大名に至った昌幸。二人の生き方から、鬼神をも欺く真田の智謀の真髄に迫ります。来年の大河ドラマ「真田丸」の背景がわかり、予習として最適の特集です。
発売日:2025年02月06日 価格(税込):840円
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更新:04月28日 00:05
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